めぐり逢いて 25

 港々で足止めされて、横濱に着いたのは、六月に入ってからのことだった。
「私が助けてやれるのは、ここまでだ」
 船を下りる時、見送ってくれた松木が云った。
「この先は、君が独りで往かねばならない。――官軍の幕軍残党狩りは、まだ続いていると聞く。気をつけていきなさい」
「はい――ありがとうございました」
 考えてみれば、箱館から横濱までの二ヶ月足らずの間、松木には本当に世話になった。
 もう会うこともないだろうが――この恩は、一生忘れまいと思う。
 そのとおりを口にすると、松木は笑って手を振った。
「何、私は土方先生に頼まれただけさ。あとは、君の仕事だ」
 そうだ、この先は鉄之助の仕事なのだ。自分が独りで、日野までを往かねばならぬ。薩長の輩に見つからぬよう、気を引き締めてゆかねばならぬ。
 もう一度松木に礼を云い、鉄之助は一歩を踏み出した。
 大東屋で、箱館の通貨を江戸のものに替えてもらい――貨幣の質が悪いと云うので、額はかなり減ってしまった――、刀はどちらも売り払った。本当は、副長の刀を手離したくはなかったのだけれど、残党狩りが厳しいとは大東屋のものからも聞いた、迂闊に目だって、使命を果たす前に捕らえられるわけにはいかなかった。
 ともかくも、目指すは日野だ。
 鉄之助は、隊服を脱ぎ捨て、乞食に身をやつし、東海道を北へ向かった。
 川崎宿品川宿と辿ってゆくと、つい一年ほど前に、同じ道を辿ったことを思い出す。あれは、大坂から富士丸に乗って江戸へやって来た時だ――副長や局長、沖田も兄もいた。品川について、そこから江戸へ入ったのだ。あの頃はまだ、こんな未来が訪れるなど、思ってもいなかった。
 おぼろげな記憶を頼りに、日本橋を目指す。
 日本橋からは、東海道のみならず、甲州街道も発している。日野宿へは、そこから行くのがもっともわかりやすい――但し、江戸市中をうろつく薩長の輩に不審がられないよう、乞食らしいのろのろとした足取りで。
 品川・日本橋間は、特に気をつけて、数日街道近辺をうろうろしながら移動した。とにかく、目立つことは許されなかった。
 江戸城下――だが、江戸は既に、“東京”と改められたのだと云う――をうろつきながら、ゆるゆると西へ向かう。
 江戸城を北へ大きく迂回して、内藤新宿を目指す。
 その手前、小さな川の流れる場所に、鉄之助はそっと訪れた。
 千駄ヶ谷の、植木屋の家。板塀の向こうに、小さな屋根が見える――あれは、沖田が臥せっていた小屋だ。
 沖田の墓所を、鉄之助は知らない。知っていたところで、墓参できるわけもない。見慣れぬ乞食が寺の内に入ってきたと、不審に思われるか、追い出されるかだろう。
 だから、沖田のいた小屋に、外からそっと手を合わせた。
 足許で、かすかな声がにゃあと鳴く――見下ろせば、ちいさな三毛の猫が、つぶらな瞳でかれを見上げていた。
 そう云えば、このあたりは猫が多い土地なのだと聞いたことがあった。
 沖田は、子供や小動物が好きだったから、元気であったなら、喜んで猫たちの相手をしていたのだろうに。
 そんなことを思いながら、猫の喉元を掻いてやると、
 ――市村君。
 不意に、懐かしい声に呼ばれたような気がした。
 ――沖田さん?
 まさか。そんなはずはない。
 と、猫がまた、にゃあと鳴いた。
「……お前かい?」
 鉄之助は呟いて、そっと猫の首筋を撫でた。
 あるいは――本当に、沖田がここにいたのかも知れない。鉄之助が、無事に副長の命を果たせるように、ここで待っていて、励ましてくれようとしたのかも。
 ――必ず、この使命だけは果たします。
 何もかも失って、最後に残されたこの使命だけは。
 もう一度、板塀の向こうに黙祷し、鉄之助は再び歩きはじめた。
 千駄ヶ谷までくれば、内藤新宿は目と鼻の先だ。
 信濃・高遠藩邸をぐるりと回り、追分から甲州街道に入る。
 内藤宿は相変わらずの華やぎで、一年ほど前に、この場所で甲陽鎮撫隊の面々が、士気を鼓舞するために酒宴を張ったのだった。
 街は変わりはしないのに、あの時いた人々はもういない――そのことに、覚えず涙がこぼれるのを、奥歯を噛みしめて堪える。
 ここで嘆いても仕方がない。むしろ、ここで嘆いて人々の不審を買い、そのために捕われるようなことがあっては、副長にも、箱館に残る人々にも申し訳が立たない。
 ――日野に辿りつくまでは……
 何にも心を動かさず、ただ黙然と往かなければ。
 それから先も、ゆっくりとした旅路だった。甲陽鎮撫隊の時には三日で、かつて副長が少年のころには一晩で、歩いたと云う道を、鉄之助は幾日もかけて歩いていった。
 街道筋にいる薩長の兵に怪しまれないよう、幾日も同じところに居続けたり、時には来た道を戻って江戸へ行くふりをもした。物乞いをし、施しを受け、嘲られ、あるいは礫で打たれ。
 そうしてようやく日野に辿りついたのは、七月のはじめ、小糠雨の降る夕方のことだった。
 日野の本陣に行き、門の内を伺っていると、
「お前のようなものがうろついては、本陣の威儀に関わる。早々に立ち去れい」
 と、下男らしき男に押し出された。
 さもありなん、乞食が中を窺っているとなれば、追い出しにかかるのがこういうところの常だ。
 だが、鉄之助にも使命がある。ここまで来て、立ち去るわけにいくものか。
 鉄之助は、男の脇をすり抜け、門の内へ入りこんだ。
「あッ、お前!」
 そのまま、式台ではなく、脇の方へ回りこみ、勝手から館の中へ入り込む。
「何ですか!」
 女たちが叫び、追いかけてきた男に取り押さえられる。
「あるじ殿に――佐藤彦五郎殿にお目にかかりたい」
 鉄之助は、必死で云った。
 男の戒めをもぎ離し、懐から、副長に託された文と写真を取り出してみせる。
「これを御覧戴ければ、おわかりになるはずだ。箱館より参ったのだと、左様お伝えあれ」
 女の一人が、恐る恐るそれを受け取り――はっとした顔で、奥へ声を上げた。
「旦那様――奥様!」
 声に弾かれるように、足音が近づいてくる。
 鉄之助は顔を上げ、かれらが訪れるのを待った。
 主と思しき壮年の男が、女から写真と文を受け取る。後から来た妻女と思しき女が、それを不安げに覗きこむ――その顔だちは、副長の面差しとよく似通っていた。
「――間違いない、歳三の手だ。……君は、一体……」
 主が、目を見開いて云った。
 鉄之助は、深く頭を垂れて答えた。
市村鉄之助と申します。副長に――土方先生に、小姓としてお仕えしておりました」
 ここまで云って、ふと気が緩んだ。
 目頭が熱くなり、やがて、その熱が頬を伝って流れ落ちるのがわかった。
「土方先生に――使いになれと命を受けました……どうか……」
 喉を熱いものが塞ぎ、それ以上を口にすることができなかった。
 ここまで来て、だが、己の伝えるのは吉報ではない。あの人が死んだと云う、死の知らせなのだ――
 主は、無言でかれのその様をみつめていたが、
「――話を聞こう。その前に、風呂を使うといい。……おのぶ」
 妻女に声をかけ、奥へと下がってゆく。
 鉄之助は平伏して、暫、涙を流していた。


† † † † †


鉄ちゃんの話、続き。横濱〜日野到着。
今回、うちで重販商品だった+¥1,260-とお安かった、ので買っていた『新宿文化絵図』(新宿区発行)が大活躍でした。
つーか、総司のいた植木屋って、内藤新宿の重ね地図に載ってる、駅の近くのあそこ? 何だ何だ、職場から歩いていけるじゃん(遠いけど)。今度、沖田番引っ張って行ってみるかなァ。つーかアレ、ぎりぎり渋谷区なの、ここ?


横濱からは、一人旅〜。
正直、ルートがわからん(脇道を行くなら、川崎街道とかなんだろうけど、結構目立ちそうだから、やっぱ江戸市中から甲州街道?)のですが、この辺は本当に情報がないので、もうどうにでもなれ。
ああ゛、身内から突っ込まれましたが、猫が三毛なのは、単に黒猫じゃないのがよかったからです。そして別に三毛は総司じゃありません。ありませんてば!
……まァ、総司でもいいんだけど。三毛(♂)は船に乗せられるほど貴重(珍しいから、お守り的な)らしいのですが、総司の生まれ変わりなら、まだ小さいだろうしね。生まれて1年にもならんだろうし。船には、もっと大きくなってからってことで(笑)。


そうそう、ふと思い立って、鉄ちゃんの話、17話目ってどの辺だったかなー(や、鬼の北海行が17話目になったし)と見直してみたら。
あれ、開陽沈んでるじゃん。つーか、蝦夷地全島制圧してるよ! うぅん、そりゃあ中々進んでない感じだなァ。
この分だと、鉄ちゃんの話が終わる話数(30弱)でも、鬼はまだ松前とか攻略してそうだ……
まァ、鬼の話の方は、普通小説では出てこないような細かいとこまで書いておきたいので、ゆっくりいきますよ。こないだのとこだって、良順先生と酒呑んでる話は、他ではちょっと見ないしね(笑)。


そう云えば。
昔ジャンル(陰陽道系)でアレコレやってた時にお世話になった方とか、結構新撰組好きいたなァと、ふと思い出してみたり。
鬼好きのI先生、はこないだお見かけした時はお元気そうだったからアレとして、芹鴨好き(奇特だ……)のF様、お元気でいらっしゃるでしょうか……よもや、こんなに経ってから、私がこんなもん書いてるとは思いもせんでしょうが(苦笑)。しかも、新撰組書いてるくせに、勝さん至上主義と云う(笑)。
やァ、人のゆくえって、わからないもんですよねェ。


関係ないのですが、今、トルティリーニ(イタリアのワンタンみたいな)が作りたい……ミラノ近辺の家庭料理なのですが。ヴェネツィアのバールで食べたのはクリームソースだったので、今度はコンソメで、是非……
パスタマシンなくても、麺棒でできるっぽいので、今度チャレンジしてみようかと。買ったレシピ本には、ニョッキも載ってたので、それもいいなァ――つーか、今日の晩飯当番は、ニョッキにしてみるか……? (好き好き♥) →結局、ニョッキのグラタンに致しました。うまうま。


この項、終了。