北辺の星辰 18
九月朔日、歳三は仙台に到着、その足で、東名浜に碇泊している開陽に、榎本釜次郎を訪ねた。
船室に通された歳三の前に、ややあって、榎本たちが姿を現した。
「やぁやぁ、お久しぶりです、土方さん」
云われて立ち上がった歳三は、榎本の傍に、見知らぬ男がいるのに気がついた。
唇を引き結び、きついまなざしをした男だ。年のころは榎本と同じくらいか。だが、榎本にある生来の明るさのようなものはなく、どこかひねたような、そのくせやや尊大な風情である。
誰だろう。江戸でかれに会った時には、このような男は、榎本のまわりにはいなかったように思ったが。
そう思いながら、微笑みを浮かべて頭を垂れる。
「ご無沙汰しておりました」
「四月の脱走前以来ですからなぁ。――会津の方は、大変なことになっていると伺っておりますが」
「えぇ。実はその件で、榎本さんのお力を拝借できぬものかと思いまして……」
そう云う歳三の目に、件の男が、小さく唇を歪めたのが見えた。嘲るようにも見える笑みだった。
歳三は、思わず眉を寄せた。
――何だ、この男は。
榎本が、沢太郎左衛門らとともに伴っているからには、相応の立場の人間なのだろうが、それにしても、この態度はいささか無礼に過ぎないか。
「――ところで榎本さん、こちらの方は一体どなたなのですか」
にこやかな顔を作りながら問いかけると、榎本は、
「そうそう、紹介がまだでしたな」
と云って、件の男を紹介してきた。
「こちらは松平太郎殿、元・陸軍奉行並であられる。今回の脱走に賛同して戴き、ご同道戴いたのです」
「それは」
これには流石に、歳三も息を呑んだ。
陸軍奉行並、と云えば、大鳥よりも更に上、軍事取扱である勝のすぐ下の官職にあったと云うことではないか。
その上、松平姓となれば、云わば徳川の縁戚である。歳三など話にもならぬような人物だ。なるほど、野良犬よと蔑みたくもなるだろう。
「……大鳥総督のもとで参謀を務めさせて戴いております、土方歳三と申します。以後、宜しくお見知りおきのほどを」
頭を垂れる歳三に、かれはかるく一瞥をよこしただけだった。
――どうも、この御仁は苦手だ。
正直、このような態度に出られては、話の糸口すらも掴めまい――歳三は思い、再び榎本に向き直った。
「それで、榎本さん、私としては、貴方がいらして下さったことは非常に心強いのですが――江戸表は、今現在、どのようなことになっているのですか」
かつて、あの四月の大脱走時には、勝に、海軍の脱走は、薩長の出鼻を挫くための、云わば恫喝のようなものだと云われた憶えがある。榎本と話はつけてあるので、勝たちの要求を薩長が呑めば、すぐにでも撤収させるつもりだと聞いていたのだ。
まして、あれから早四月が経った、今さら、榎本たちが仙台まで来る、どういう理由があったのだろうか。
「まだ聞き及んではおられないのか。先日、上様――いや、今は前上様と申し上げようか――は、駿府へ転封におなりあそばした。今の上様は、田安家の若君・亀之助様に……我々は、前上様を清水湊までお送り申し上げたのち、二十日の夜に脱走したのだ」
「……何ゆえにございますか」
歳三は問うた。
将軍――否、既に“前の将軍”か――が駿府へ転封になったと云うことは、朝廷の沙汰は無事に下り、特段争いも起こりはしなかったと云うことではないか。
もちろん、沙汰の下る前には、上野で彰義隊が薩長と戦ったと云う話は歳三も聞いていたが、それとても、あくまでも沙汰の下される前のことであり、それ以降には、越後やこの奥州での戦の噂は聞いても、江戸表ではその気配すらないと、そのように思っていたと云うのに。
「薩長の云うなりの御沙汰には、到底納得がいかんのです」
榎本は、激しい口調で云った。
「武州まわり二百万石に減封ならばまだしも、駿府へ転封の上、石高も七十万石にとは、あまりの御沙汰。その上、一度は幕臣に任された江戸鎮撫の任も薩長の手に引渡され、我らの立つ瀬もなきような有様。勝安房守様は、思いとどまるよう仰せになったが、とてもとても……」
それでは、かれの脱走は、勝の意に反するものなのか。
歳三は沈黙した。
それでは、この先榎本と力をあわせていくべきではないのではないか――しかし、会津の、あるいは幕軍の窮地を救うには、榎本の率いる幕府艦隊の力は欠かせない。だが、榎本の脱走を勝が諌めたのであれば、このまま歳三が戦い続けることもまた、勝の意に背くことになるのではないか――
思いは、幾千に乱れた。
だが。
歳三にはもうひとつ、新撰組を無事に終わらせると云う使命もある。ただ会津で隊士たちを死なせるのではなく、終わらせるべき時に、かれらの納得のゆくかたちで新撰組を消滅させること――そのためには、このまま会津を倒れさせるわけにはゆかぬのだ。
「……同感でございます。それで、榎本さん、ものは相談なのですが」
「何でしょう、お力になれることならば」
「会津表の窮状はお聞きかと存じますが、その件で、奥州取りまとめのために、幕府艦隊に後ろ楯になって戴きたいのです」
そして歳三は、米沢や白石の現状について、榎本らに切々と訴えた。
会津藩首脳は、意地があるばかりで能力のないこと、米沢が恭順に転じ、庄内も孤立しつつあること、白石の奥州同盟公議府は、輪王寺宮がおわすだけで、同盟国のひとつである会津の窮地にも、動く気配すら見えないこと――
「――かくなる上は、榎本さんと幕府艦隊だけが、頼みの綱なのです。どうぞ、仙台侯を説いて、奥州同盟を文字通りのものと為し、会津を苦境よりお救い戴けますまいか」
会津のためばかりではない、速やかな新撰組の最期のためにも。
「あいわかった」
榎本は、力強く頷いた。その後ろで、松平が渋い表情になるのが見えた。
「私とて、このまま幕軍が無為に潰されるのを見るには忍びない。――幸いと云うべきか、明後日、青葉山城へ登城することになっている。同盟諸藩の会合が開かれるのだそうだ。是非、土方さんも同道され、仙台候に、会津の件を言上下され」
「……わかりました」
ちょうど良い、仙台が、どの程度本気で奥州同盟を維持しようとしているのか、それをこの目で確かめてやる。
かれらが本気で同盟の維持を望むのならば――そうだ、まだ会津にも、そして歳三にも、勝機はきっとあるはずだ。
正直、松平の、不満げなまなざしが気にはなったが、しかし、それに頓着するには、歳三の持ち札はあまりにもすくなすぎた。縋れるものなら藁にも縋ろう、だが、そこまでしても、結果が芳しいものになると云う確信など、持てはしなかった。榎本が何をするつもりなのか、何を望んで脱走したのか、歳三にはわからなかったから。
――同床異夢たァ、こういうことを云うんだろうか。
とは云え、“同床”と云えるほど、歳三と榎本との間に同じ目的があるのかも、まったくわかりはしなかったのだが。
――まァいいさ。
物事は、為るようにしか為らぬ。歳三にできるのは、せいぜいが、与えられた場で懸命にもがいて、すこしでも己の望む方へとその軌跡を撓めることだけだ。
榎本に差し出された手を握り返しながら、歳三は、精一杯の笑みを浮かべてみせた。
† † † † †
鬼の北海行、続き。仙台到着。
予め謝っておきますが、松平太郎さん好きのひとは、この先読んで楽しくないことが多いと思います。
何か、タロさんは、箱館の陸軍内では評判が良くなかった+鬼への当たりは良くなかった、らしいので、書き方もそんなになると思うので。
まぁ、別件で聞いた話では、タロさんは自分の家に対するコンプレックスが酷く、自分に優しい相手以外には当たりがきつかった、とのことなので、まぁそれはそれらしく――っても、全然関係ない鬼に、そんなとこまでわかるかい! ってカンジなので、総じて“厭な人”になると思います。ご了承ください。
……と思ったけど、ゴメン、いろいろ聞いてると、タロさんに嫌われるのは鬼にも悪いところがあるわ(汗)。
つーか、何て云うの、鬼、やっぱ九尾の狐かも(苦笑)。妲己(not藤竜)とか、って男ですが(笑)。白面金毛でもなく、毛並みは煤けた黒だけど(笑)。何かこう、「土方の奸媚に迷い」(by山南さん)って、釜さんに関しても云えるわね(苦笑)。
とは云え、鬼視点なので、あんまタロさんを良くは書けないけど――その辺のアレコレも、なるたけ書くようにしよう……(汗)
しかし思うんですが、鬼の一体どこが“奸媚”だったんだろう……やァまァ“奸”はアレとしても、“媚”の方がねェ……何で誑かされてんの? 解せねェなァ……
関係ないですが、最近ちょっと以蔵が気になります。例の“人斬り”以蔵です。
勝さんの護衛やってたからとか何とかあるんですけど、やっぱアレだ、惚れこんだ相手に、最後の最後で裏切られたって云うのがねー。何とも云いがたく可哀想で……(あとね、ちょっと以蔵、総司に似てるとこがあるんだよね、自分の頭でものを考えないとことか、それでいいように使われちゃってるとことか――あ、顔は似てませんよ、勿論)
その点、鬼なんか幸せだったよな、勝さんは裏切らなかったもん、と思うと、その辺のアレコレもあるのかも知れませんが。
あああと、本が手に入ったからもありますが、大久保一翁さんも最近好き。でも不動の一位は勝さんですが(笑)。
つーか、レアな一翁さん(中公新書)が見つかったんだから、桂さん(同)も早く出てきてくれませんかのぅ……
でもって。
『歴史読本』S54年9月号“最後の戊辰戦争――五稜郭の戦い”が、古本市で¥300-で出てたのでGetしたのですが。
えーと、竹中春山さんて、誰、つーかどんな人? 鬼と同じ裁判所頭取だったっぽいのですが、しかもタロさんより偉い元・幕府陸軍奉行(但し、鳥羽・伏見の戦いの後、責任を取るかたちで免職)だったらしいのですが、ちっともわかんない。つーか鬼、ちゃんと仕事してたんかオイ! あたしは、そっちの方が不安になって参りました……
って思ったら、どうもこの方、戦いが終結する前に外国船で東京に脱出してたそうで。――“東京”ってことは、鉄ちゃんと同じくらいか、足止めくってない分、もうちょっと前の時期かだな。Wikiで見ても、ググってみても、写真も見当たらない。明治24年まで生きたんだから、何かあったってよかろーに。うぅむ。
あ、『歴史読本』は、ついでに'00年12月号と'04年3月号(どっちも新撰組)も買いました。だ、伊達の殿の号も買えば良かったかなァ……
この項、終了。
次は鉄ちゃんの話。