北辺の星辰 19

 九月十二日、歳三は、榎本らに伴われて青葉山城に登城し、藩執政の大條孫三郎や遠藤文七郎、藩主・伊達慶邦らに面会した。
 歳三としては、奥州同盟の行末を見定める絶好の機会と思っていたのだが――仙台藩は、どうやら恭順の方向で藩論がまとまりつつあるように見受けられた。
「どうぞ、お考え直し下さい。幕府海軍と、陸軍の力を合わせれば、薩長の輩など怖るるに足らず。まして、そこに諸藩の兵が加われば、彼奴等なぞひとひねりでございましょう。今こそ奥州諸藩力をあわせ、正しきご政道を……」
 榎本は、大條らに訴えていたが、かれらは曖昧な笑みを浮かべて、榎本の肩を叩いただけだった。
 その、どこか憐れむような笑みに、歳三は、仙台藩が既に戦いを諦めていることを知った。
 かつてであったなら吐き出しただろう、勝手にしろ、という言葉を、歳三は口にすることはできなかった。
 ここで諦めては、会津に残してきた、新撰組をはじめとする幕府陸軍を、なす術もなく壊滅させることになってしまう。
 いや、榎本から知らされた、江戸表や前将軍の処遇の話を信じるならば、ここで陸軍を壊滅させることこそ肝要なのだろうが――今、会津で幕軍を敗北させることは、上策だとは思えなかった。
 ともかくも、どうにかして仙台藩を翻意させ、あるいは――どうにかして戦いの渦中に引きずり込まねばならぬ。そうでなくては、奥州同盟の存続すらが危ぶまれることになる、それだけは避けなければ。
 幸い、と云うべきか、仙台藩は、自らの藩意を他の同盟国に知らしめてはいないようだ。
 榎本は、それをいいことに、各藩の切り崩しを図っているようだった。
 歳三が小耳に挟んだところでは、かれは同盟諸藩の談所へ日参し、何とか薩長との対決へと、流れを持っていこうとしているとのことだった。
 ――まァ、ここは榎本さんに任せるしかねェだろうなァ。
 と、思ったのは、ひとえに歳三自身の身分ゆえだった。
 何しろ、幕臣にお取立になったとは云え、もとは武州・多摩の百姓の子だ。それに引きかえ、同盟諸藩の列席者は、それぞれの藩でも重鎮と云ってよい人物ばかり。かれらは、歳三などが口を出そうものなら、気分を害するに違いないからだ。
 会津の戦局は、刻一刻と変化しているだろう。幕軍は、新撰組は、その中でどのように戦っているものか――それを思えば、居ても立ってもいられぬのだが、さりとて、このまま単騎会津に取って返すこともできぬ。
 歳三は、じりじりとしながら、榎本からの知らせを待っていた。
 と、幾日かの後、使いのものが歳三のもとを訪れ、会議の場へ来てほしいと云う榎本の伝言を云ってきた。
 ――何だって、俺なんぞを?
 とは思わぬでもなかったが、ともかくも、呼ばれたからには出向かねばならぬ。
 談所へ赴き、会議の間へ通される。
 唐紙を開けると、各藩の代表と思しき人々が、車座になって寄り合っているのが見えた。
「失礼致します。――土方歳三、お呼びと伺い、まかり越しましてございます」
 そう声をかけ膝を進めると、一同のまなざしが一斉にこちらを向いて、歳三はすくみ上がるような心地をおぼえた。
 幾人かのまなざしが訝しげなものであるのは、おそらくは歳三の身なり故だっただろう。黒の上着と揃いの胴衣、白の肌着に下は黒のだんぶくろ、洋装の軍服は、このような場所にはそぐわない。
 羽織袴なり裃なり、この場に合わせたなりをしてくるべきだったと思ったが、もう遅い。
「やぁやぁ、お待ちしておりました」
 榎本は、いつものように明るい笑顔を浮かべているが――この男、歳三のどんなことを、ここに居並ぶ人々に申し述べたものか。
「実は、奥羽同盟によるこの度の会津表への出兵にあたり、貴方に同盟軍の総督を依頼したいということになったのだ。貴方、もちろんお引き受けになりましょうな?」
 ――そういうことになろうとは。
 歳三は、突然のことに、暫、沈黙し――ともかくも頷いてみせた。
「――大任ではございますが、もとより死をもって尽くすの覚悟でございますれば、ご依頼は敢えて辞しは致しますまい」
 確かに驚きはしたものの――忌避する心があるかと云えば、そういうわけでは決してなかった。むしろ、喜んでいたとすら云ってよかった。
 会津よりこの方、歳三はずっと軍を統率することを求められずにきた。だからこそ、ここへ来て、榎本のお蔭で己が日の目を見ることになったことに、素直に喜びを感じていたのだ。
 そして何よりも、総督に就けるとなれば、自分の意のままに軍を動かすことができる。そうなれば、後手後手に回りがちな大鳥の作戦など気に留めず、兵の力を最大限に出させることができるだろう。
 だが、そのためには、越えておかねばならぬ壁がある。
「……ですが、このままご依頼をお受けするためにも、お訊ね申しておかねばならぬことがございます」
「さて、いかなることでござろうか」
 歳三の近くにあった壮年の男が、首をかしげながら問うてきた。
「いやしくも、三軍を指揮するにあたっては、軍法は厳にしなければならぬと存じおります。されば、もし私めが総督となり、軍中において背命のものあらば、御大藩の宿老衆と云えども、私めが三尺の刀にかけて斬り捨てることとなりましょう。さもなくば、軍紀など保ては致しますまい」
 この言葉に、居並ぶ人びとが、はっと息を呑むのがわかった。
「されば、生殺与奪の権を、総督の任とともにお与え戴けますのならば、謹んでお受けいたしましょう。その段や、いかに」
 歳三は、言葉を切り、ぐるりと一堂を睨み据えた。
 ――さて、どう出る?
 歳三にとっては、これは試金石でもあったのだ。
 庄内から白石、仙台と経てくる間、諸藩が恭順へ傾きつつあることは、歳三も肌で感じてきた。
 それでも、奥州同盟を機能させるための合議を開くのならば、あるいはまだ、同盟自体は崩れてはおらぬのかも知れぬ。
 それを見据えるためにも、あるいは実際の行軍の最中に揉めごとを起こさぬためにも、この点だけははっきりと云っておきたかったのだ。
 もしも、同盟諸藩が、完全に恭順に傾ききっているのであれば、歳三のこの要求に対して、かれらは不快感を示すだろう。そうでないならば、この要求は受け入れられるだろう。そして、会津薩長の手から救う手立てもできるはずだ。
 歳三は待った。諸藩の士が、かれにその答えを告げるのを。
 かれらは、目を見交わし、さわさわと囁きあった。
 そののち、ひとりがおもむろに、
「……云うに及ばず、生殺与奪の権は、総督に付されると決まったもの。されば、総督の任をご依頼いたすからには、生殺与奪の権もお与え致しましょうぞ」
 その言葉に、居並ぶ諸士も頷いた。
「左様、その権なくば、総督の任を果たすは難しいこと」
「もとより、そのつもりでござった」
「左様左様」
 ――よし。
 口々に投げかけられる言葉に、歳三は満足して頭を垂れようとした。
 が。
「あいや、待たれよ」
 そう云って、片手で制してきたのは、歳三とあまり歳のかわらぬひとりの男。
 その声に、隣りに坐る男が、訝しげに眉を寄せた。
「何を待てと云われるか、安部井殿」
生殺与奪の権を土方殿にと云われるが、この安部井、左京太夫様に伺いを立てた上でなくば、その段了承致しかねる」
「これは異なことを。貴殿とて、藩を負うてのご列席のはず、云わば、貴殿のご意思こそが二本松のご意思でござろう。それを、何ゆえ左京太夫殿に伺いを立てねばならぬと云われるのか」
「貴殿らは、生殺与奪の権を与えると云うことで宜しかろう。ただ、私はそれに肯いかねると申したまで」
「……私も、安部井殿と同意見でござる」
 と、車座のすこし向こう側に坐った男が頷いた。
「片山殿! 米沢まで、そのようなご意見とは」
 と云うところをみると、その男は米沢藩のものなのか。
 米沢藩は、既に恭順に傾いていた――では、二本松も同じだと云うのか、会津とともに戦ったばかりでありながら。
「そもそもは安部井殿でござる。この場へ二本松を負うて来られたからには、今さら左京太夫殿へのお伺いなどと――それならば、何ゆえこの場においでになると云うのだ」
「左様! お伺いを立てるなどと申されず、この場でお決めになられるが筋と云うものではないか」
 他藩のものたちが、安部井と、片山と云う名の男に詰め寄って、会議の場は騒然となった。
 と、
「お静まりあれい!」
 びんと張った声を上げたのは、榎本だった。
「そのように騒がしくされては、話をすることも適いますまい。まずは私が、安部井殿のご意見をお聞き致しましょう」
 よくとおるその声音に、諸藩の者たちはざわめきながらも、榎本にその場を譲った。
「さて、安部井殿、この場におられるからには、貴方が二本松の藩意を表しておられると、そのように考えて宜しゅうございますな?」
「如何にも」
「されば、何ゆえ生殺与奪の権のみは、ここで与うるや否やのご判断をなされぬと?」
「藩意、と申しましても、それにも軽重がござる」
 安部井は云って、ぐっと榎本を睨み据えたようだった。
「奥州同盟を如何に回してゆくべきか、などということであれば、藩意はもはや決しており、判断するまでもないこと。さりながら、生殺与奪の権の付与などと云う重大事は、私の一存では判断致しかね申す。我が忠誠は主・左京太夫のもの、されば生殺与奪の権もまた、主に捧げられるが筋と申すもの。それを、この場で判断せよとは、あまりなことではござらぬか」
 この言葉に、居並ぶ諸士が、またざわめきはじめるのがわかった。
 ――これは、駄目だ。
 と歳三が思ったのは、かれらのざわめきが、徐々に安部井らの方へ傾いた意見を紛れこませてきたからだ。
 ――所詮、同盟などかたちばかりのものだったか。
 だが、それも仕方のないことなのかも知れなかった。
 真の盟主と仰ぐべき徳川家が、薩長土肥の意を入れて駿府へ下った以上、いかに榎本が煽り立てようとも、同盟の瓦解など、目に見えたことだ。米沢や仙台は藩意を恭順と定め、現に今戦っているはずの二本松ですらこの調子では、会津や庄内がどれほど抗戦を申し立てようと、この同盟は成るまい。
 歳三は、無言で立ち上がった。
「どこへ行かれる、土方君」
 榎本が、慌てた様子で訊ねてくるのへ、歳三はうすく笑んでみせた。
「私がここにいても、お話がまとまるわけではございますまい。されば、お話がまとまり、かつ私がご要りようと決まられましたら、またお声がけ戴きたい。私は、それまでお待ち申しておりましょう」
 もっとも、そのようなことなどあるまいが。
 榎本の手が、引き止めようとするかのように、上げられる。
 それを目の端で捉えつつ、
「御免」
 一礼して、歳三は身を翻した。



 宿に戻ると、主が出迎え、来客があると告げてきた。
 ――誰だろう。
 まだ、会津から幕軍が引いてきたと云う話は聞かぬ。
 仙台で、歳三を訪ねてきそうなものと云えば、こちらへ砲術の指南に赴いている、伝習第一大隊のものたちだが、隊長を代行している内田とは、先日会ったばかりで、今さら誰が来るとも思われない。
 首を傾げながら部屋へ行くと、懐かしい顔が揃ってかれを出迎えた。
「副長!」
「土方先生、お久しぶりです」
 流山で、あるいは江戸で、近藤の助命のために隊を離れたふたり――野村利三郎と相馬主計が、揃って頭を下げてきたのだ。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
安部井さんのねっちりトーク……長いよ……


遠藤さんのコメントの「土方に至りては斗屑の小人……」ってのは、まァ、思ってたんだろうけど、口にはしてなかったんだろうなァ、とは思います。
つーか鬼、どうもああいう文官系には受けが悪いなァ。望月さんにも「小人」だし、何だかうおぉぉぉ。
つーか、釜さん、この辺、タロさんとかと一緒に鬼を連れまわしてますね。鬼、あんま営業上手じゃない(小売販売的営業は除く)ので、あんまり意味なかったんじゃないかしら、と思わずにはいられません。偉いさん相手なら、絶対タロさんの方が適任だよ!


新選組証言録』(PHP新書)が、実はイマイチ使いづらいことが判明……証言が断片なので(それでも、『新選組日誌』よりはマシなのですが)、前後の文脈とかがわかり辛い部分が……まァ、安部井磐根の証言は一応使えなくもなかったけど。うぅうん、史料の原本求めて駆けずりまわる人たちの気分が、ちょぉっとだけわかったわ……


ところで、幕末サーチの登録記事を修正していて思ったのですが、蝦夷政権やってるところでも、中島(三郎助)さんの出てるサイトさんって少なくないですか?
あの人、派手に散ったんだし、最期の地に碑まで立ってるんだから、もうちょっと何かあってもよかろうに……
とか云ってたんですけど、どうもやっぱり中島さんてとっつきにくい人だったらしいです……そうかなァ、何か面白くってカッコいい人のイメージしかなかったんだけど……まァ、多分に偏屈なところはあるにせよね(笑)。
とりあえず、中島さん好きな人とかいないかなー。同士求む、もちろん土勝も!


あ、そうそう、安彦さんの『王道の狗』(白泉社版)GET致しました。
か、勝さんが……(←が、購入の動機なので――終わってますか)とか云いつつ、加納のかっこよさにきゅんっとしてみる。
いいねェ、王道の狗――と云いつつ、勝さんの狗なんだよな、ある意味で。
鬼も、ああいう風に動けたらよかったんだろうけども、ねェ……


この項、終了。
次は鉄ちゃんの話――そろそろ先が見えてきたな……