めぐり逢いて 26

 湯を使い、髭をあたり、髪を整え、新しい衣――主の子息のものだと聞いた――に袖を通す。久方ぶりに、こざっぱりとした装いになった。
 食事を摂って、ようやく人心地ついたところで、鉄之助は主に呼ばれた。
 茶の間の隣りの仏間に通されると、主と、その妻女が待ち構えていた。
 庭に面した障子も、前後の唐紙も、ぴたりと閉ざされている。鉄之助が何もので、何ゆえにここを訪れたかがわかったので、そとに漏れ聞こえることのないよう、細心の注意を払っているのだと知れた。
 鉄之助は、まずは主に頭を垂れ、次いで仏壇に向き直って、瞑目した。
 副長の姉の嫁ぎ先である以上、ここにあの人が祀られるわけはないが、それでも、何かにあの人の冥福を祈らずにはいられなかったからだ。
 主夫妻は、その間、無言でかれを待っていてくれた。
 鉄之助が祈りを終え、ようやくそちらへ向き直ると、
「――それで」
 と切り出したのは、おそらくは、かれも云うべき言葉を探しあぐねていたのだろう。
「市村君、と云ったか――歳三の小姓だったと云っていたね。君がここへ来たということは、歳三は……」
「俺が、箱館を後にした時には、ご健在でした」
 鉄之助は、一言一言噛みしめるように云った。
「亡くなったと聞き及んだのは、横濱までの船中でのこと――箱館市中にて戦死されたと、それだけしか……」
 それを聞いた主の妻女が、喉をつまらせ、袂で目尻をぬぐった。
 妻女の顔がひどく副長と似通っていることに、鉄之助は今さらながらに気がついた。
 その顔を目にするだけでも感極まって、鉄之助もまた、落涙していた。
 だが、ただ泣いているわけにもいかない。鉄之助は、知る限りの副長の様子を伝えなくてはならない。そのために、自分はここへよこされたのだから。
「――俺が知る限りの、副長のことをお話し致します」
 そう云いおいて、鉄之助はゆっくりと語りだした。
 流山から後、副長がどのように転戦していったか、会津の戦いのこと、仙台でのこと、蝦夷渡航のこと、五稜郭入城から松前攻略までのこと――
「……副長は、それは隊士たちに慕われておられ――」
 伝えなくてはならぬ、副長が、どれほど幕軍の兵たちに愛されていたのかを。
「――俺が箱館を出ることになったのは、四月のはじめのことでした。五稜郭の副長のお部屋にて、特命があるとおっしゃって……俺に、こちらを訪ねるよう命ぜられたのです。俺が、お傍にて果てたいと申し上げると、それではここで斬られるかと仰せになり……」
 ――ならば、ここで俺に斬られるか。
 あの時突きつけられた、和泉守兼定の鋭い切先を、まだまざまざと思い出すことができる。そして、同じほどに鋭い副長のまなざしも。
 ――俺の命を果たせぬのなら、ここで死ね。そうすれば、俺より先に死ぬことができるぞ。
 あの言葉に、自分は“それでも構わない”と云い張ったのだ。副長のために死にたいのだと、あの人を守って果てるのが望みだと。
 あれから三月が経ったと云うのに、鉄之助の中で、それらの光景は風化することもなく鮮明なままであった。もはやここから歩みだせぬのではないかと思えるほどに。
 主夫妻は、鉄之助の言葉を、涙ぐみながら聞いていた。
 やがて、鉄之助が語りを終えると、主が静かに口を開いた。
「……よくぞ伝えてくれた、市村君。――ところで、君は、歳三から託された書付を目にしたのかね」
「……いいえ」
 あの、細い紙片に書き付けられた短い言葉を、鉄之助は、恐ろしくて盗み見ることすらできなかったのだ。箱館からの船中では、その言葉を見れば、副長の死を呼び寄せるような気がして、訃報を耳にしてからは、見てしまったなら、自分が二度と歩き出せなくなるような気がして。
「御覧」
 主はそう云って、かれにその紙片を示した。
 そこには、
 ――使の者の身上頼上候  義豊
 と、副長のあの、細い流れるような手で、そればかりが書かれてあった。
 酷いひとだ、と、鉄之助は呟いた。
 あのひとは、鉄之助に、追腹を切ることさえ許さないのだ。箱館では、あのひとの楯となって散ることを許さず、今また殉死することをも許さないのだ。
 ――勝手なことばかり……!
 鉄之助の望みも聞かずに、思い込みでかれの処遇を決めるなど、何と勝手な慈悲であることか――ああ、今だけではない、あのひとはいつもそうだった。例えば、遠い昔にも。
「……歳三のたっての頼みだ、もちろん、君の身上は、任せてもらおう。君は、この後どうするつもりなのだね?」
 主に問われ、鉄之助は逡巡した。
 正直なところ、日野へ辿りついた後のことなど、ちらりと考えてすらいなかったのだ。ともかくも、この重い責を果たすのに頭がいっぱいで――否、その後のことなど考えては、途中で動けなくなってしまいそうで、故意に頭の片隅に追いやっていたのだ。
 副長亡き後の自分に、いったい何が残されているのだと――
「――考えても、みませんでした」
 鉄之助は、本心から云い、自分の目許が、また熱いもので潤むのを感じて、顔を伏せた。
 そうだ、いったい何が残されていると云うのだ。あれほど心を寄せたひとは逝った。あのひとに心を奪われ、いまここにいる自分には、何も残されてはいないのだ。このさき生き続けるための力も、そのために目指すものも。
 だが、そんなことを、このひとたちの前で口に出来ようはずはない。
「……美濃の大垣に、俺の実家があって、そこに兄がいるはずなので――まずはそこに戻ろうかと」
 大垣には、兄・辰之助が帰りついているはずだ。他に当てはない、まずは帰りついて、それから――それから?
 それから、など、思いつきもしなかった。何もかもが空漠の中だ。現実味がなく、自分の生命ですら、ふわふわと頼りないものに思える。
「そうか」
 主は頷いた。
「だが、今は、知ってのとおり、薩長の幕軍残党狩りが厳しい折――ほとぼりがさめるまで、ここに留まりなさい」
「――ありがとうございます……」
 だが、残党狩りがひと段落するのを待っていては、この家に長々と厄介になることになるのではなかろうか。
 それは些か心苦しい、と云うと、
「君はそんな心配をする必要はないのだよ。歳三の願いだ、私たちは、君のためにできることは何でもしよう。――さいわい、息子の源之助は、君とあまり年も違わない。ここにいる間は、あれとともに学べば良いだろう」
「気兼ねせずに、ここを自分の家と同じに思ってくれて構わないのですよ」
 副長に良く似た面差しが、微笑みかけてくる。
 その唇からこぼれた言葉が、まるで副長の言葉のようにも思われて。
「――恐れ入ります……お言葉に甘えさせて戴きます」
 そう答えてしまったのは、多分、主の妻女ゆえだっただろう。
 深々と頭を垂れる鉄之助に、主たちは微笑みながら頷いてきた。その目には、わずかに光るものが宿っていて、かれらの失ったものが自分と同じであるのだと、鉄之助に知らしめたのだった。


† † † † †


鉄ちゃんの話、続き。
とっても書き辛い……


やっとこさ、日野本陣行ったのが使えるわ……
本当にこの辺、情報が……甥っ子・源之助の覚書に頼るしかないと云う。
つーか、日野本陣の建物って、どこまで昔の風情を残してるんだろう。仏壇って、ホントにあの棚の中に入ってたのか?
つーか、そもそもあそこに内風呂はあったんだろうか――あったよな、本陣だし、あの辺湯屋があったとか云う話もないよな? って云うか、“幸い風呂有り”って書いてあるじゃん!
それ以前に、話聞いたの仏間じゃねェ……! (仏間は四畳半、話聞いたのは八畳間) きちんと読め、自分! ……まァいいや。


早稲田の青空古本市がはじまったので、休みをいいことにいってきました(こういう時、シフト制っていいと思いますね)。
桂さんを! と意気ごんでいったにも拘らず、GETできたのは勝さん一冊(もう一冊あったけど、流石に¥5,000-は……)、鬼と総司の書簡集一冊、先生が一冊(昔NHKブックスから出てた『レオナルド・ダ・ヴィンチ考』の加筆修正版、みたいな)、あと探してた中島梓の『道化師と神』の4冊計¥4,000-。
桂さんが、ホントにねー。たかしゅぎは見つかるんですけども、桂さんはホントに見つかんない。逃げられてる? 逃げられてるのか、私?
釜さんや鬼の関連本も結構安く出てたけど、似たようなの幾つもあっても仕方ないし、それ以前に、知りたいことが載ってないんだよね、ああいう本って。
しかし、前に資料一覧作ったときからまたいろいろ増えてる(←……最初、そんなに集めないとか云ってなかったか、自分……)ので、自分メモも兼ねて、また一覧作ろうかなァ。あれだ、勝さん+高杉が増えてるんだよ! あと、箱館戦争関連。……でも、『箱館戦争資料集』は見当たんないんだけどね! あまぞんとか古本ネットとかでもね!
でもって、コンディヴィのミケ伝は、疲れ過ぎてて早稲田へ出向けず、今回は断念いたしました。まァ、二冊あったし、1割引じゃなくていいなら買えるもんな……


この項、終了。
次は阿呆話、の前に、資料リストでも作っておくかな……