北辺の星辰 17

 歳三は、翌二十二日、若松城北の滝沢本陣まで馬を駆った。
 こちらも、母成峠の敗走のあおりで混乱を極めており、庄内行の話を誰に持ってゆけばよいかもわからぬような有様だった。
 ともかくも、誰か話のできるものをと思っても、大鳥も行方不明、会津の諸将は散り散りに反撃を企てているものか、見当たるものがない。
 そうこうしている内に、昼あたりには、猪苗代が抜かれたと云う風聞が、歳三の耳にまで入ってくるようになった。
 ――これは、いよいよいかん。
 新撰組は、何とか天寧寺の屯所にまで戻ってきた、という話も聞きはした。だが、様子を見に行こうにも、いつ薩長軍が襲来するかわからぬこの状況では、単独で動く愚は、避けたほうが良さそうだった。
 ――大鳥さんは、どうなったんだ。
 幕軍の総督である大鳥なくては、今後の動向も決めることができぬ。
 だが、その肝心の総督は、母成峠で敗走後、姿が見えぬのだと云う。
 よもや、生命を落としたのではあるまいか――不吉な思いに塞がる胸を抱えつつ、歳三は、混乱の中ですこしでも状況を把握しようと、滝沢本陣の中をうろつき回った。
 戦況は、兵たち――特に、会津――の士気に水を差してはいないようだったが、ただ、若干その士気の意味合いが違ってきているようであるのが、歳三の気に懸かった。
 戦い抜く、というその意気込みが、前向きなものから悲壮なものへと変わりつつある。彼らの心のどこか片隅に、“勝てぬ”という気持ちが芽生えつつある――
 ――勝てねェ、じゃねェ、勝たなきゃならねェんだ!
 歳三は、歯を食いしばった。
 まだ、徳川は滅したわけではない。将軍は蟄居しているとは聞いていたが、それが討たれたと云う話は、まだこの会津には届いていない。それならば、是が非にも勝たねばならぬ。勝って、徳川の世が終わらぬように――せめて、その命脈が切れぬように。それが、勝が望んだことであったのだから。
 苛々しながら過ごしていると、会津候が、手勢を率いて滝沢本陣に出陣してきた。
 しかしながら、もはや野戦で対抗するには、この本陣はあまりにも混乱している。
 会津候も、それがわかったのだろう。ともに来ていた、実弟である元桑名藩主・松平定敬に、米沢へ行くよう指示を出したのだ。
 ――しめた!
 と思ったのは、それに途中まででも随行させてもらえれば、幕軍参謀に過ぎない歳三にも、多少の箔がつくと考えたからだった。どこでも、藩の重鎮連は、野良犬上がりにはまなざしが厳しい。そこを、会津候の威光で補おうと考えたのだ。
 その旨を申し出ると、戦力不足の認識はあったのだろう、快く許され、歳三の庄内行きは決まった。
 そのまま、慌しく滝沢本陣を出立すると、途中の大塩村で、大鳥が幾人かの将兵と寄り合っているのに行きあった。
 丁度良いとばかりに、大鳥に、自分が不在の間、新撰組を頼むと云うと、渋い顔で拒まれた。
「置いてなど行かずに、君が率いて庄内まで行ったらどうだね」
 などと、無理とわかって、そのようなことを云う。
「今や、戦況はそのような悠長なことを云っている場合ではないとおわかりでしょうに」
 新撰組を率いてぞろぞろと行く、そんな暇などありはしない。単騎、庄内までを駆け抜ける、その意気でなくて、援軍など間に合おうはずはない。それなのに。
 何を云うやら――駄々っ子のように。
「そのようなことができないことなど、大鳥さんならおわかりのはずだ。――ともかく、俺ァ行きます、後のことは、隊長の斉藤――山口と、伍長の島田、安富に任せておりますので、大鳥さんには、隊の大まかな指揮をお願い致します」
「君のところの連中が、私の云うことなど聞くものかね」
 拗ねたようなもの云いに、歳三は今度こそ、呆れを含んだ溜息をついた。
「幕軍の総督は、あんたでしょう、大鳥さん。そのあんたが、たかが隊のひとつを指揮できなくて、どうするって云うんです」
 だが、大鳥は、ふいと横を向くばかりだ。
「……ともかく」
 歳三は、苛々と云った。
新撰組のことァ、お任せします。必ず、何とか、援軍を連れてきますから」
 そもそも、こんなところで云い合っている暇などありはしないのだ。
 松平定敬一行を、このために待たしてしまっているのだ。ぐだぐだとした云い合いをする暇などない、庄内へ行き、援軍を引き連れて戻ってこなければ――さもなくば、会津ばかりか、幕軍の定めもここまでだ。
 歳三は、強引に大鳥に後事を託し、松平定敬一行について、会津を後にした。
 だが、会津を発った翌二十四日、米沢にさしかかったところで、一行は思わぬ事態に遭遇した。
 米沢藩が、一行の領内通過を認めないと通告してきたのだ。
 どうやら米沢は、既に降伏の意を固めているらしく、その妨げとなるだろう会津・庄内両藩のものが、領内を行き来して結束するのを嫌ったようだった。
 歳三たちは、米沢城下に至ることこそ許されたものの、そこから先に進むこともできず、宿に逗留して、次善の策を練ることにした。
 と、ここで、戦禍を避けていた松本良順医師、そして、庄内藩士・服部十郎右衛門と会った。
 服部も、この米沢で足止めをくっているというので、丁度いい、今後の話をと、壬生藩の友平慎三郎も加え、酒席を設けて会合を開くことになった。
「土方殿は、会津より参られたとお聞きしたが、会津表の戦況は如何なものか」
 服部の言葉に、松本医師のみならず友平も、身を乗り出すようにこちらを見つめてきた。
「かなり厳しゅうございますな」
 歳三は、やや言葉を選んで云った。まだ戦い続けるつもりの服部などに、あまり弱気なことは聞かせたくなかったからだ。
「私が会津を発った時には、薩長軍は、会津城下に迫る勢いでございました。鶴ヶ城は堅牢強固と聞き及びますが、奈何せん、薩長は数を頼んでの大攻勢。果たして、どれほど抗することができるかは……」
「何と……」
 服部や友平の口から、苦渋に満ちた溜息がこぼれる。
「それでは、なかなか我らが勝利は遠いと云うことか――しかも今、米沢が恭順に意を転じたとあっては、援軍を出すこともままならぬ。薩長は、このまま奥州同盟の分断を目指すのか……!」
「まぁ、それが順当な作戦ではあるだろうな」
 松本医師が、冷静に云った。
 蘭方医である松本医師は、かつて勝海舟とともに学んだことがあるのだと聞いたことがあった。
 それ故にか、かれの情勢を見るまなざしは、下手な直参連中よりも冷静で、かつ見識のあるものだった。
「奥州諸藩、特に仙台などは、薩長も迂闊に手を出せぬ相手。まずは周辺の切り崩しを行って、恭順の意を示させる方向に持っていくと云うことだろう」
「それでは、我々の採るべきは、どのようなみちだと思されますか」
 問われて、医師は暫、沈黙した。
「……勝利を得るためには、異国の力を借りることが肝要だと思う」
 異国。それは、幕府に好意的である仏蘭西の力を借りろと云うことか。
 だが、
「……この混乱を極める時期に異国を引き入れて、支那の二の舞にならぬと云い切れるのでしょうか」
 歳三は、不安を口にした。
 仏国の力を借りることは、勝とて考えたことがある方法だろう。だが、かれが敢えてその策を採らず、江戸城無血開城を選んだのは、支那阿片戦争のことが頭の隅にあったからに違いない。
 一国の政府が、異国に借りを作れば、そこからつけこまれて属国に落とされてしまうのではないか――そうだ、そもそも、かつての攘夷運動とは、その不安から発したものだったのではなかったか。
「うむ、確かにその不安が拭えんのだ。――だが、是が非でも勝つ、と云うならば、それもまた已む無しではないか」
「――しかし、まだ、完全に奥州同盟が崩されたわけではあり申さん」
 服部が、膝上で拳を握りしめて、云った。
「戦えるうちは、異国の力は借りずに済ますが宜しいのではありませぬか。――そのためにも、奥州同盟の絆を一層強固にせねば」
「さよう、異国を頼むは、最後の手段にございます」
「……奥州同盟は、まだ諸藩をまとめ得ましょうや?」
 歳三は問うた。
 ともかくも、会津に足止めされている幕軍を、どうにかその泥濘から救い出さねばならぬ。そのためには、奥州同盟を言葉どおりに結束させ、佐幕派の一大勢力となるよう働きかけねばならぬ。
 斉藤がどう思っていようとも、それこそが、延いては会津を救うことにも繋がるのだ。
「まとめ得る、と、俺は思っているが」
 医師の、やや歯切れの悪いもの云い――だが、わかっている。松本医師も、不確かなことを確実だとは口にできない質なのだ。
「ただ、いかにも諸藩の同盟のみでは心許ない。やはり、異国を頼みとするべきではないか」
「ですが、朝廷の御許しなく、異国と軍事の同盟を交わすは、後に禍根を残すことにもなりましょう。その段は、如何に?」
 友平が、疑問を差し挟むと、医師は、ゆっくりと口を開いた。
「今の同盟の公議府は、白石にある――そちらには、輪王寺宮様がおわします。宮様に御許しを戴くが肝要でござろう」
「――白石、でございますか……」
 歳三は、唇を噛んで考えこんだ。
 白石は、米沢から決して近いとは云えぬ土地だ。
 だが、このままここに滞留を続けても、庄内への道がひらけると云う保証はない。無為に時間を過ごして、その間に会津に降伏されては元も子もない。
 それに、白石は、庄内よりは会津に近い。仏国との同盟の許可を求めるにせよ、奥州同盟に基いて援軍を要請するにせよ、そちらへ向かう方が早道だ。
 何より、輪王寺宮があるからには、そちらから会津への援軍を指示してもらえれば、諸藩も動かざるを得まい――
「――どうした、土方」
 松本医師が問いかけてくるのへ、わずかに笑みを返す。
「今後の方策を考えておりました」
「ほう。――白石へ、行くつもりか」
「はい」
 考えれば考えるほど、他に道はないように思われた。
 ただ、懸念があるとすれば、輪王寺宮周辺の人間が、野良犬風情に耳を貸さぬと云うことだが――駄目で元々、あたってみるに如くはない。
 歳三の応えに、服部たちは笑みを浮かべた。
「おぉ、それは重畳」
「お頼申しましたぞ、土方殿」
 松本医師までが、杯を掲げ、笑みかけできた。
「吉報を、愉しみにしているぞ」
 その言葉に笑みで応え。
 歳三は、杯を掲げて酒を乾した。



 翌日、歳三は、松平定敬に、白石行きのため一行を向ける旨を告げ、単騎、米沢を発った。
 だが、白石へ到いてみると、危惧したとおり、公議府の人間は、歳三に目もくれないような有様だ。会津への援軍要請にも、疑わしげなまなざしをくれるばかり、とても話になりそうにない。
 それでも何とか道を模索していた歳三の耳に、江戸を脱走した幕軍の軍艦が、石巻に入港したと云う話が届いた。
 幕軍の軍艦! 奥州同盟が動かずとも、幕府海軍ならば、あるいは力になってくれるかも知れぬ。むろん、船が陸を走ることはないが、軍艦の力を後ろ楯に、諸藩を動かすことはできるだろう。
 しかも、その幕府海軍を率いているのは、榎本釜次郎だと云う。
 榎本には、四月の陸海軍の脱走の折、事前の顔見せと称して、一度だけまみえたことがある。かれならば、歳三を誰であるか知り、力になってくれるだろう。
 行く先は決まった。
 歳三は白石を諦め、再び馬上のひととなった。
 独り――仙台へと。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
京都から会津にアタマ切り換えるのが厳しかった……


えぇえと、今度こそ庄内→仙台行き……
どうも資料の日付が曖昧なので、いろいろちょこっとずつとか変わるかも。ただ、この辺の鬼に関しては、あんま資料とか、新ネタ出てこないんだよねェ。だぁれも知らない、知られちゃいけ〜ない〜、って云うか。いや、いけないわけじゃあないんだけども。
何かね、新撰組は、鬼の云うことしか聞かないので、大鳥さんが引き受けるの嫌がったんだそうです。まァ大体、鳥さん、一ちゃんと仲悪いしねー。自分の好きなようにやりたい一ちゃんと、緻密に作戦考えて、そのとおりに人が動かないと厭な鳥さん、では、まァ反りなんぞ合うわきゃあねェ。


とかやってたら、身内から、「そろそろオリジナルの話を書かないと、物語を書けなくなるよー」と云われてしまった……
まァね、確かにね、今書いてるのや、これから書こうと云うルネサンス話なんかは、厳密には“小説”じゃあないもんな。ここのタイトルどおり、“備忘録”以外の何ものでもないもんなァ。
でもでも、この辺の話は、2019年までに書いておきたいんだ! ちょうど先生の没後500年+鬼の没後150年の節目の年だし。知ってること、聞いたことは全部書いておきたい。それが“小説”にはならないとしても。
つーわけで、まだこの調子でいきますよ。2019年まで、あと12年しかない……!


関係ないですが、グーグルで検索をかけていたら、鬼の生まれ変わりと公言されている方(♂)がいらして、吃驚。はー、生まれ変わりねェ……いや、ないとは申しませんが、鬼ですか……ははは。
何でもいいけど、私は勝さんと源さんと鉄ちゃんの生まれ変わりがいるなら会ってみたいなァ。だけどかっちゃんは願い下げだ。
ちなみに、目的のページを、その驚愕のあまり(?)見失っちゃったよ! オイコラてめェ、俺の目的ページ返しやがれ!


あ、そうそう、江藤淳の『海舟余波』(文藝春秋)を読了いたしました。
実は、今まで明治維新のアレコレと、鬼や釜さんのアレコレが連動してないまま話を書いていた(だって、鬼視点のしかわからねェのよ)のですが、これを読んだお蔭で、薩長の内部の権力移行のこととか、勝さんが何で交渉失敗したかがわかりましたよ。こういう本(政治評論みたいなの)って、あんまりないよね、事実を並べてるのはあってもね。
面白かったので、これに出てくる日付に、鬼のアレコレの日付を足して、年表(って云うか)を作ってみようかと。とりあえず、八月の釜さんの脱走が(以下略)だったのはわかりました。うん、これはきっちり活用しよう。
しかし、江藤淳の本って、やっぱ面白いなァ。


この項、終了。な、何とか白石は抜けた……
次は、鉄ちゃんの話の続き。