めぐり逢いて 19

 明治二年の年があけた。
 鉄之助は、副長付の小姓として、日々を忙しく過ごしていた。
 かつては、小姓仲間も大勢いたのだが、会津よりこの方、大半は新撰組から離脱し、またあるものは通常の隊士として隊務にあてるようになり、人数は激減していた。
 それでも残った小姓のうち、田村銀之助は、望まれて榎本総督付に異動になり、玉置良蔵は、労咳の為に療養所に入って過ごしていた。
 今、副長の傍にあるのは、鉄之助ただひとりだ。
 ――遠くまで来たな……
 使いの帰り道、久しぶりの青空を仰いで、ふと思う。
 吹雪の合間にのぞく空のいろは、京や江戸、故郷の大垣で仰いだそれとは違う、目に痛いほど冴えわたった青だ。
 あたりは一面の銀世界、その一色が、晴れた空のいろを映してわずかに青く輝く。眩いほどに。
 こんな光景は、いままで鉄之助のいた土地では見たこともなく、いかに己が遠くまでやってきたのかを、かれ自身に思い知らせた。
 ――兄は、どうしているだろうか。
 ふと、江戸で別れた兄・辰之助を思い出す。
 兄は、あのあと大垣へ帰ったはずだ。家を守る長兄の許へ戻っているはずだ。
 兄たちは、鉄之助がこんなところまで来たのを、何と思っただろうか。愚か者だと思っただろうか、それとも?
 だが、どう思われていても、鉄之助は構わなかった。
 ――土方さんの身に何かあったら……
 沖田との約束が、かれを縛る唯一のものだった。副長を、この身に代えてでも守り抜く、それだけが、鉄之助に与えられた使命だった。
 もしもこの先、蝦夷をも離れ、遠く異国に流れゆくことがあろうとも、鉄之助は、副長の傍に在り続けるのだ。そうでなくては、自分に生きる意味などありはしないのだ。
 その副長は、最近では、すっかり変わってしまった――女に興味をなくし、食にもこだわらなくなった。かつては「美味いものを喰わねぇで、生きてる意味なんぞあるか」と云っていた、そのような人であったと云うのに。
 女はわかる、副長は、京にいいひとがいたのだから――それをおいて、蝦夷地まできているのだから。
 だが、食の方は――それへの興味まで失ったと云うことは、生きる気力すら失せてきているということに他ならぬではないか。
 鉄之助は、それがひどく恐ろしかった。
 かすかに憶えている、遠いあの日々――沖田と呼ばれる前のあのひとが去っていった後の、この人と過ごした日々を。
 穏やかに微笑むばかりで、新しいことをはじめるでもなく、無為な時間を過ごした挙句、あっさりと病に倒れて逝ってしまったこの人の姿を憶えている。その死を看取ってから、命果てるまでの長い時を、後悔ばかりを抱えて生きた自分を――あれは、どれほど前、どれほど遠い地でのことだっただろう。
 副長は、以前のあの人と同じではない。だが、まったく異なるひとでもない。そのことが、ひどく鉄之助を懼れさせた。
 自分は、また過つのではないか、また、為すすべもなく見つめることしか出来ぬのではないかと。
 そうだ、かつてそうあったように、沖田は副長の鏡だった。副長だけを映し、副長の心だけを見抜く、何ものにも代えがたい真澄鏡――魂の半身のような。
 それを失うということがどんなことか、そのような相手を持たぬ鉄之助にはわからなかったが、しかし、そのことの重さだけは、誰よりもよくわかっていた。
 それでも、わずかにでも、その喪失の穴を塞ぐことはできぬものかと、さまざまに策を講じてきたはずなのに――
 ――また、同じことの繰り返しなのか……
 それでは、今ここに鉄之助のある意味とは?
 ――……いいや。
 そんなはずはないと、鉄之助は頭を振った。
 あの時とは異なる人間として、異なる立場で生まれてきたからには、くり返さずに済むみちがあるはずなのだ。
 そうだ、たとえ沖田が逝き、再びの虚無を副長が感じたとしても――それでも、あの人を生かして、異なるみちを行くすべが、残されていないはずはない、そんなはずは。
 不安に震える胸を抱え、副長のもとへ帰りつく。
「――ただ今、戻りました」
「おぅ、戻ったか、市村」
 返る声と、やわらかな笑み。
 どこか虚ろなやさしい笑みに、鉄之助は、滲みそうになるものをぐっと堪えて、笑顔をつくった。
「はい。お届けものは、確かに中島様にお届け致しました」
 中島、とは、箱館奉行並・中島三郎助のことだ。
 元・軍艦頭取出役である中島は、中々気骨のある人物で、「君が為我も蝦夷地へ往ぞかし にしんと云はば恨なりけり」との狂歌を叩きつけて、榎本ともに脱走したと云う逸話の主である。
 副長は、どうもひどくこの人を好んでいるようで、今日も、中島の気を引くような書物を見つけたからと云って、鉄之助に届けさせたのだ。
 ――勝の狗が、俺にまで色目を使ってきおって。
 そのようなことを云いながら、中島は、それでもまんざらでもない風で、副長の贈り物を受け取っていたのだ。
「相変わらず、俺のことァ、勝さんの狗呼ばわりなさっていたか」
「えぇ、まぁ……」
 曖昧に頷くと、副長は大笑した。
「ははは、中島さんらしいなァ!」
 当の本人は愉しげだが、副長への厭味を聞かされた鉄之助としては、あまり会って愉しいひとではない。
「……“そのうち訪ねてくれば、茶でも出してやらんこともないぞ”とおっしゃっておられました」
 憮然として云うと、
「ははは! そりゃあありがてェや」
 愉快そうな笑いが返された。
「じゃあ、今度、お言葉に甘えさせて戴くとするか。……おめェも行くか、市村?」
「……お供させて戴きます」
 中島に会うのは愉しくはなかったが、副長が行くと云うからには、供をせぬわけにはいかない。
 副長はまだ、喉を鳴らしてくつくつと笑っている。
 その様は、かつての悪童のような笑みを思い起こさせ、鉄之助の胸を安堵ですこしあたためた。
 中島のことは好きではないが、それでも、副長にこんな風な笑い方をさせてくれるのならば、肯わぬわけにはゆくまい。
 いつまでも、こんな風に笑ってくれれば良い――そうして、沖田の不在をどうにか埋めて、自分たちとともに生きていてくれれば。
 鉄之助はそっと思い、
「お茶を淹れてまいりますね」
 と云いながら、部屋を出た。目頭に滲むものを、見られぬようにと。


† † † † †


鉄ちゃんの話、続き。ああ、もう明治二年かァ。
とか思ってたら、一度書いた話を消してしまった……(泣) 何てこった、結構書いてたのに……!
眠いときにUPするのはやめよう、本当に……!


あと鉄ちゃん的には3ヶ月強で(以下略)。
ただ今、その辺のいろんなネタを捜索中。つーか、四月のあたまに箱館を出て、七月初旬に日野って、どういうルートで行ったんだ――よもや、総司の墓参りとかしてたのか? まァ、墓の場所は知ってたかも知れないしなァ。
そして、箱館奉行並・中島三郎助さんを書いてしまった……ふふ。好きなんですよ、個人的に。
何かこの人、勝さんと仲が悪かったらしいのですが、鬼が好きそうなタイプなので、媚を売らせてみる――にやりと笑って受けてくれると嬉しいな、と云う、えェもう夢の産物ですが。
面と向かって「勝の狗」呼ばわりされて、苦笑しながら応対してるといいよ、鬼。
鬼と中島さんのネタは他にもあるのですが、鉄ちゃん視点では語れない(総攻撃直前だもんな)ので、鬼の北海行の方でやりますよ。ふふふ。


もう買わないぞと思ってたのに、『新撰組日誌』(新人物往来社)をGET――だって、高田馬場の古書感謝祭に行ったら、二冊組みで¥4,500-で出てたんだもん。会社で掛けるより安い(税抜@¥4,800-だからな)+財布に買える額が……!
昨日は、他に『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(大月書店)と香山リカの新書を買ってるので、帰りの鞄が重かったですよ……
まァ、『日誌』は、ホントに日付ごとに鬼の動向がわかるので、今後のアレコレも含めて有効活用しますがね……


そう云えば、某サイトを拝見していたら、蝦夷共和国不人気の秘密を探る! ってのをやっていたのですが……
沖田番に話したら、「おっさんだけだとカプとかしにくいからでしょ」と云う、身も蓋もない返答が。あと「カリスマがいない」とも。
まァ、みんな地味だもんねー。一番派手なのが鬼ってどうだ。鳥さん良い人だけど地味だし、期間短いし、戦ってばっかだし。戦史に興味のない人的には、「……で?」で終わりそうだよね。
鬼は、もうやりたいこと(って云うか……)が決まってたけど、他のみなさんはどうだったんだろうな。あの先、本当はどうしたかったの、釜さん? その辺の展望が見えると面白いんだけど――徳川藩を作る、だけじゃ、インパクトないよなァ。つーか、すぐ廃藩置県だったしねェ。


この項、とりあえず終了。