北辺の星辰 11

 望月光蔵と云う男は、四〇も半ばほどの、中肉中背の男だった。きちんと整えられた髷と月代、黒紋付と仙台平の袴を身につけた、いかにも幕臣、しかも文官に相応しい身なりである。
 そして、文官に相応しく、荒事には向かぬ性を思わせる、穏やかな面差しをしていた。
 望月は、入ってくるなり、夜着の上に単を羽織り、褥から身を起こしただけの歳三を見て、わずかに眉を顰めたが、
「足に負傷して、坐ることもままなりませぬ。このようななりにて、失礼致します」
 と無礼を詫びると、笑みを浮かべて、それを受けた。
「貴殿が、私に会いたいと云われたと、主人より聞き申したのでな。したが、貴殿は負傷して動けぬとも聞き及んだ故、こうして私から訪ねたと云うわけだ」
「……恐れ入ります」
 そう、頭を垂れながら。
 歳三は、どうも、宿の主が余計な気を回したものらしいと気がついた。
 もちろん、望月にはいずれ会わねばなるまいとは思っていた。但し、もうすこし具合のよくなった頃にと思っていたのであって――このように、弾を摘出した傷も塞がらぬうちになどとは思いもしなかったのであるが。
 しかし、宿の主の言葉に乗って、のこのことここまでやって来る望月の心境は、正直、歳三には量りかねた。もしもこれが反対の立場であったなら、歳三ならば、決して己から出向いたりはしないだろうに。
 ――どうも、この手の輩は苦手だ。
 同じ幕臣でも、勝のような破天荒な人物や、大久保一翁のような武官畑、あるいは大鳥のような人の良い男ならば馴染めるのだが――この男は、どうにも、そういう範疇からは外れているように思えたのだ。
 いや、正確に云うならば、外れていたのは、歳三が好もしいと思った人間たちの方だろう。かれらは、いわゆる“生粋の幕臣”とは異なっているものが多かった。
 勝は、家こそ譜代の旗本だったが、かれ自身はすこし遡れば越後出身の怪しげな金貸しに行き着いたし、大鳥も、播磨の医家の出だ。いずれも幕府に仕えてはいるものの、出自も、その幕府を見るまなざしも、譜代の旗本とは異なっている。
 だが、望月と云う男からは、その“譜代の旗本”と同じにおいがした。つまりは、幕府を無条件に肯定するもの、その権威を疑わぬもののにおいが。
 この男は、おそらくは、幕府が瓦解するまで、その権威と正当性を疑わずにきたのだろう。歳三のような農民出のものなど、歯牙にもかけずに生きてきたのだろう。
 その証拠に、望月の、歳三を見るまなざしは、好奇に満ちたものだ――農民出の、野良犬どもの頭領が、こんなところまで来て、一体何をするつもりなのかとでも云うように。
 ――どうせ、野良犬だろうともさ。
 望月のような男から見たならば。
 だが、野良犬にも矜持がないわけではないのだ。
 だから、歳三は、せめて心ばかりは負けぬよう、まっすぐに頭をもたげて望月を見据えた。
「……望月殿は、何ゆえ会津へお越しなされました」
「主家を回復せんと思い、江戸を脱して参ったのだ。私も旗本の端くれ、薩長の輩におめおめと頭など下げられようものか」
「ご尤もでございます」
「あのような奴ばらに江戸城を明け渡すなど、盗賊にわざわざ金子を差し出すようなものだ――勝殿も、どのようなお考えあってのことかは知らぬが、幕臣にあるまじき振る舞いをなさるとは」
 その言葉を聞いた瞬間、歳三の中で、怒りがざわりと湧き上がった。
 ――何も知らぬくせに。
 勝が、どのような考えあって江戸城無血開城を決断したのか、かれが、どれほど江戸の町を慈しんでいるのか――それらのことを、何も知らぬくせに、言葉ばかりは大層なことを。
 突き上げてくる怒りをかろうじて飲み下し、歳三は、なおも穏やかに言葉を続けた。
「……いちいちご尤も。――それでは望月様におかれましては、薩長とあくまで戦うべきだと思されますか」
「いかにも」
「ならば、我らとともに戦われるが宜しかろうに」
 歳三は、勝の命により、徳川の後ろ楯となる兵力を保持するために、ここまで来ているのだ。
 そして、わざわざ江戸を抜けてきたからには、望月も剣持って戦う覚悟があるのだろう。
 そうであるならば、ここでかれに、幕軍に加わってもらうが良いだろうと、歳三はそのように思ったのだが。
 だが、望月は、そのようには考えてはいないようだった。
「いや。私は文官である故、会津候にお仕えし、文にて貢献させて戴こうと思っている」
 ――“文で”だと?
 歳三は、思わず眉を寄せた。
 この会津まで来て、今さら“文で”もあるまいに。もしも本心から“文で”徳川のために働こうと云うのなら、どうしてこの男は、江戸に留まり、勝たちの支えとなって働こうとはしなかったのだ?
 ここまでやって来たのは、薩長と剣を交えて戦うためではなかったのか。それも考えつかぬほどの臆病者であるのだと?
「……臆しておいでか」
 思わず、そのような言葉がこぼれ落ちた。
 勝が、どのような思いで江戸を守っているのか、それも知らずにここまで来て、その上まだ、剣を取って戦うこともせず、不平ばかりを口にすると云うのか。
会津まで来て、“文で”たァ片腹痛ェ。文で貢献する、何がここにあると云うんだ。何のために、あんたは江戸を抜けたんだ。文で貢献するんなら、おとなしく江戸にいりゃあよかったじゃねェか。それを、何だってわざわざ、会津くんだりまで来たってェ云うんだ? 薩長と剣で戦う、そのためじゃあねェのか――それで今さらそんなことを云う、あんたはまったく臆病者だな」
 それで、勝のことを悪し様に云うなどと――そんな資格は、この男にはない。打てる手はすべて打ち、自分のような野良犬にすら信をおいて、徳川と江戸の町を守ろうとしていた勝を、この男ごときが批難するなどと。
 望月は、明らかに鼻白んだ様子だった。
 だが、かれは何とか気を取り直した様子で、再び口を開いた。
「……兵法に拠れば、軍略に秀でたものは、戦いを勢いに求め、兵を責めぬとか。ならば、怯懦のものにも、用いるべき場所はあるだろう。――それよりも、怯したと云うならば、貴殿の方ではないのか。宇都宮は、この戦いの要衝、喩えるならば天王山とも云うべきところ。それをむざむざと敵に奪われるとは――再び奪い返すことは、甚だ困難と云うべきではござらぬか。しからば、それをなし得ぬ貴殿もまた、怯懦と云わざるを得ぬのでは?」
 人を小馬鹿にしたような口調に、歳三はかっとなった。
「黙れ!」
 何も知らぬくせに。
 宇都宮での戦いがどのようなものであったか、知ろうともせぬくせに。
 それで、このような言葉を弄するなど――あの戦いで死んだもの、負傷して脱落したものに対する侮辱にも等しいもの云いではないか。
 戦いにも加わろうとせぬ、武士の風上にも置けぬような、この男ごときが――よくも、このような戯言を。
「……あんたの無駄口を聞いてると、俺の具合が悪くならァ。戯言は聞き飽きた、さっさと出て行きやがれ」
「私の言が正しいと、認めるのですな」
「出て行け!!」
 叫ぶなり、褥の上に横たわり、望月にくるりと背を向ける。
「……小人が」
 望月が、冷笑とともに呟くのが聞こえ――
「去れ!」
 歳三は叫びざま、枕を取って、去りゆく背中に投げつけた。
 だがそれは、望月の背には届かず、床に虚しく転がった。
 ――畜生……
 呟いて、褥の中で丸くなる。
「――何も知らねェくせに……」
 勝の心のうちも、宇都宮での戦いの様も、何も知りはしないくせに。
 だが確かに、ここでこうして歯噛みするしかない歳三は、怯懦であると云われても仕方ないのかも知れなかった。
 ――すまねェ……
 望月ごときにあのように嘲弄され、反駁することすらままならぬ、不甲斐ない自分で。宇都宮を守り続けることもできず、いくたりもの兵を失うような、情けない指揮官で。
 ――すまねェ……
 じわりと滲む悔悛の涙を覚えながら、歳三は、褥のうちで小さくなって、ただそれだけを呟いていた。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
望月さん登場。


夢乃うわ言』には、何か超↑無礼な鬼のことが書いてありますが、いかな鬼でも、本当に横臥したまま話したりとか、いきなり単刀直入に「俺とともに戦え」とか云ったわけじゃああるめェよ、と思って、こんな感じに。
多分、あれも後になっての回想録なんじゃないかと思うので、駄目なところだけ強調されて記憶に残ってたんじゃないかな……鬼の方でも同じことだとは思いますが(苦笑)。
しかし、望月さんという人は、何でまた、“文でお役に立ちたい”とか云いつつ、この後ぱっつぁん(=永倉新八)なんかの靖共隊と一緒に行動したりしてるんだろう……それが本当にわからん。文官には文官の戦い方があるのは、勝さんとか大久保一翁さんとかでわからなくもないんですが、望月さんはそれとは違うもんなァ。何がやりたかったんだ、望月さんよ。解せねェ。


でもって、鬼の“売り言葉に買い言葉”の発端は、どうやら勝さん絡みだった様子。それは怒るだろう、望月さん、何にも知らないくせにな。
しかし、鬼のもの云いも、多分かなりアレだったんだろうなァ……松原忠司の一件(例の、殺した男の奥さん寝取ったってアレ)でもそうだけど、ややもの云いに難アリなのが、こう……
つーか、何なの、この後の「セセラ笑シ去リ……余、答フルニ彼ノ状ヲ以テス。族輩聞テ絶倒ス」ってのァ。「大事ノ前ノ小事」ってなァ何だよ。馬鹿にしてんのか、あァ? 枕じゃなくて、硯とか文鎮とか投げときゃ良かったのか……(怒) くたばれーッ! って感じですよ、あァ、本当にな!! もう死んでるけどさ!


今回の話の、ちょこっとの科白(望月さんの)を確かめるためだけに、「続 新選組資料集」(本体価¥9,800-)を買ってしまった……
ふふ、「あったかくなってくると財布の紐が緩む」って、昔馴染みに注意されたばっかりなのにね……ふふふふ……
でもって……ダマスカス鋼のナイフ(関の)も買ってしまいました……うふふふふ……(温笑)
古馴染みの、やや呆れたような溜息が聞こえるようだわ、と思ったら、沖田番に「本と刃物に金使うのは、Gさん何も云わないよォ」と云われました。そうか。
じゃあ、これはマルシアマルケス(と、結束のあて紙に書いてあったの)のプレミアブック(実はピンクのセクシーモノグラムのやつ、迷ってました)を2冊買ったつもりでOKと云うことね! ……よし。
ついでに買った肥後守(豆)は、一本沖田番に与えよう。……女同士でやりとりするもんじゃないよなァ、肥後守って……お父さんの少年時代の夢、じゃん! ……まァいい。


えーと、この項、一応終了で。
不愉快な回だった(書いてる自分が)ので、次の阿呆話は愉しいのにしたいですねェ……