めぐり逢いて 18

 鉄之助たちが箱館五稜郭に帰還したのは、松前を出立して三日の後、十二月十五日のことだった。
 折りしも、この日は、幕軍の蝦夷全島平定を祝う祝賀の宴が催されており、副長の凱旋は、それに花を添えるものだったのだ。
 また、この日には、こののち蝦夷を統治する箱館政府の、閣僚を定める選挙も行われていた。選挙は、上等士官以上の投票によって実施され、まずは総裁に榎本釜次郎が選出された。
 後日、諸役の選挙も行われ、副長は陸軍奉行並、及び箱館市中取締、裁判局頭取に任じられた。
「陸軍奉行並と云ったって、やるこたァ昔と変わらねェなァ」
 結果を聞いて、祝いの言葉を口にした鉄之助に、副長は、そう云って微苦笑を返してきた。
「でも、陸軍奉行並と云えば、軍事方ではかなりのお立場なのでしょう?」
「まァ、軍事方だけで云やァ、上は大鳥さんだけだからなァ。……だが、どちらにせよ、こんなこたァ、そうそう長くは続くめぇよ」
「……どういうことですか」
 鉄之助は、その言葉に不吉なものを感じ、そう問い返した。
 やっと、蝦夷地の全島平定が終わったと云うのに、副長は、もう次の戦を念頭においているのかと。
薩長の輩が、蝦夷地をこのまま俺たちに支配させておくわけがねェだろう」
 副長は、云いながら椅子に腰を下ろし、右足だけを胡坐をかくように、座面の上に折り曲げた。それは、副長が寛いでいる時のくせだったのだが――鉄之助は、話の内容が内容だけに、それにひどく違和感を感じた。
「どのみち、薩長は、軍をここまで出してくるさ。俺が、“京にいた頃と同じ”なんぞと云ってられるのも、今のうちってェことだ」
「……薩長の連中は、ここまで来ますか」
 海を越えた、この北の果ての地までも?
「来るさ」
 副長は頷いた。
「海を越えたと云っても、蝦夷地は異国じゃあねェ、れっきとした日本の一部だ――実際、ここにゃあ箱館府なんてものもあったんだしな。その蝦夷地だけが、俺たちの支配下にあるなんてェことを、奴らが許すわきゃあねェだろう」
「来たら――戦になりますか」
「当然な」
 戦になる――やっと、蝦夷を平定して、新しい生活がこれからはじまるのだと思っていたのに。
「――どのみち、この狭い蝦夷地だけで国をつくるなんぞ、できるわけァねェんのさ。ここにゃあ、米も何もねェんだぜ。そういうものを手に入れるのにゃあ、津軽あたりと交易をしなくちゃあならねェんだ。米国や英国相手の交易をするにゃあ、蝦夷は小さすぎるからな」
 鉄之助は――交易のことなど、考えてみたこともなかったことに、今さらながらに気がついた。
 そうだ、今までは、自分たちの後ろには、何かしらの後ろ楯があった。それは、会津侯であったり、幕府であったりしたのだが――これより後は、かれらの後押しなどは望めない、ただ、自分の力で、この蝦夷地の未来を切り拓いてゆかねばならないのだ。
「――大変ですね……」
 鉄之助は、思わず溜息とともに呟いていた。
 国をつくるとは、こんなことどもに頭を悩まされることでもあったのか。戦って、土地を切り取り、その上に君臨する、それだけでは立ち行かぬのが、国というものであったのか。
「大変さ」
 副長は笑った。当然だと云いたげに。
新撰組も、そんなもんだったさ。会津や幕府から金を貰って、それを勘定方がやりくりする――斬りあいをすりゃあ、怪我人は出る、刀は折れるだ。医者や薬にも金は要るし、新しい刀を手に入れるのだって、ただじゃあねェ。それだけじゃねェぞ、ただ隊士たちを養うのにだって、いろいろに金がかさむのさ。金は、入って、出ていくもんだ。――だが、それで世の中ってなァ回ってるんだ。俺たちが金を貰やァ、どっかに出ていく――出ていった先でも同じことさ」
「それが、一国の話になってもですか……」
「あァ、そうだ」
 眩暈がするような話だ。
 蝦夷地に住むのはどれほどの人間なのか、鉄之助は知らない。だが、確実に新撰組の員数など比ではなかろうし、そうであれば、ただここに生きるだけでも、膨大な額の金が動くことになるだろう。それは、まったく鉄之助の想像の範疇を超えたことだった。
「……それでは、榎本先生たちは、この蝦夷地でどうなさるおつもりなのでしょう?」
 津軽などとの交易が難しいとなれば――困難であっても、米英や仏国などとの交易を行わねばならないのではないか。だが、それらの国々は、いずれも遠く海の彼方にあるのだと云う。支那国より遠いと云うその国々と交易するなど、それこそ困難極まりない話なのではないか。
 鉄之助の問いかけに、副長は、ただ肩をすくめただけだった。
「さァな。――榎本さんは、徳川家から誰ぞをお迎えして、この国の主として仰ぐ腹づもりのようだ。そう云う書状を朝廷に出したってェ、こないだ聞いたからな。だが……正直、そんなことが許されるもんだかどうだか……」
 そう云って、そのまなざしが遠くなる。
「副長は、この国に、先がないとお考えなのですか……?」
 震える胸を抱えながら、鉄之助は問うた。
 副長は――答えぬままに、うすく微笑んだ。肯定も否定もせず、だが、確かにそのとおりだと鉄之助に知らしめるように。
 ――では……ですが、それならば……
 不安が、強く胸を締め上げた。
 ――あなたは、それを知った上で、どうしてこの国と命運をともにしようとされるのですか……?
 それはよもや、生への執着を失ったからであるからだと?
「――生きて、下さいますね?」
 自分たちを置いては逝かぬのだと、言霊のちからで縛れるものならば。
 沖田と云う水を、土を失ったこの人に、かりそめでも何かを与え、縛り、生かし続けられるのならば、そうしたかった。言葉でこの人を縛れるものならば、縛りつくして生のうちへ留めたかった。
 副長は、わずかに目を見開いて――
「あたり前だろ」
 そう云うなり、鉄之助のやわらかい髪を、くしゃくしゃとかき回してきた。
 その長い指を感じながら、鉄之助は、じわりと滲む眼を伏せて、ただじっと、されるままになっていた。



 この月の末までに、かれらはすべての役職を選出し、ここに箱館政府が樹立される。
 副長の補佐となる、陸軍奉行添役には、相馬主計、安富才助などもこれに選出された。また、その下で働くことになる陸軍奉行添役介には、野村利三郎も選出された。
 これにより、箱館新撰組は、新たな組織として動き出すことになる。
 時に明治元年、十二月末のことだった。


† † † † †


鉄ちゃんの話、続き。
蝦夷共和国成立。


蝦夷共和国”の選挙の日付については、諸説あるようですね。今回は面倒なので、『新選組全史』(新人物往来社)のデータを参考にしました。つーか、それを見ながら、誤魔化して書いてると云うか。
つーか、陸軍奉行並と箱館市中取締はともかく、裁判局頭取はどうなの、鬼。恐怖政治系ですぜ、この男。仏革命時の、革命裁判所みたいにしてなかったろうな? 危ないよ、マジ。


そう云や、こないだ仕事中に表紙にいた高杉に見つめられて(笑)、思わず「週刊ビジュアル日本の合戦」を数冊、買ってしまった(勝さんの表紙の号は、ただ今注文中)のですが。
それの28号、“榎本武揚箱館戦争”に、タロさんの写真が!
……なるほどね、確かに“普通のおっさん”(by沖田番)だわ……この人と榎本さんが(腐女子的意味合いで)どうこう、ってのは、いろんな意味で考え辛い……
つぅか、よく喧嘩していたと云う(電波情報)このふたり、結局どういう関係なのか、未だによくわかりません。
それよりも、唐突に春日(左衛門)に、衆道(しかもショタ)疑惑勃発。今さらですが、銀ちゃん、何もなかったんだろうな……な、なかったよな?(汗) とか兢々としてたら、無理強いはしないひとだという続報が。……紫の上育成計画? 光源氏? ……それもどうだ。
とりあえず、写真の残ってる中では、箱館奉行並の中島三郎助の顔が好み。この手の顔の人、すげぇ好きだ。この人も、降伏前に戦死してるのね……何だかなァ……


ちなみに、今回の作中の鬼の変な坐り方は、半跏趺坐とよく似た坐り方。右足は座面の上、左足は普通に床に下ろしてる感じで。いや、こんな坐り方してたそうなので――だらだらしてる時とかにね。京都にいた頃は、縁に坐ったときに、柱に身を預けて、似たような坐り方してたそうで。
この坐り方、座面が片方だけへこむんだよね(経験者は語る)――他の人が鬼の椅子に坐ったときに、「? ? ?」と首を傾げてると面白いなァ。


この項、終了。