めぐり逢いて 7

 副長が、局長の助命嘆願の成功を、どれほど成功すると思っていたのか、鉄之助にはわからなかった。いや、もしかすると、そもそも局長に関しては、沖田との約束を果たすと云う意味で、助命を嘆願しただけだったのかも知れない。
 ともかくもわかったのは、副長の頭にあったのが、局長の生命の心配よりも、“新撰組”をどのように守るか――あるいは、大坂での「新撰組は、崩れる」と云う言葉を考えに入れるなら、どのように終わらせるか――であっただろうことは、何とはなしに察せられた。
 慶応四年四月十一日、鉄之助は、副長らとともに、江戸から下総国府台へ、幕府陸軍兵らとともに脱出した。
 国府台に集まった幕府陸軍兵は、その数二千あまり、その総督に選ばれたのは、幕府歩兵奉行・大鳥圭介であった。
 大鳥は、この時齢三十七、緒方洪庵適塾を出た後、蘭学塾などを経て開成所洋学教授、歩兵奉行に抜擢されたのは、この江戸脱出のわずか一月前のことだった。
 幕府の脱走兵たちは、云わば、実戦経験のない“頭”を戴くことになったわけだ。
 楽天家として知られた大鳥も、流石にこの大任には臆してか、実戦経験のないことを理由に、総督の座を固辞したが、満場一致で請われ、遂にはこれを受けることになった。
 その大鳥の参謀として、副長が選出されたのだ。
「名誉なことですね!」
 鉄之助が、戻ってきた副長に云うと、微苦笑を含んだ声が、それを否定した。
「名誉なもんかよ、体よく、お守りを任されたってぇことじゃねぇか」
 と、三つ年長のはずの大鳥を、近所の子供ででもあるかのように云う。
 そうして、ひょいと肩をすくめ、
「まァ、俺ァ誰かを担いでやった方が、気楽でいいがな。御輿に乗せられるなァ、俺の性に合わねェよ。“副長”くらいで丁度いいのさ」
 と笑った。
 そう云えば、局長の薩長軍への投降以降、新撰組の実質的な局長は、副長・土方であったのだが、島田や中島など、同行していた隊士たちは、未だにかれを“副長”と呼んでいた。局長が忘れられないと云うよりも、“副長”と云う呼称のほかに、土方歳三と云う男をどう呼んだらいいのか、しっくりとくるものがわからなかったからだっただろう。
「副長」
 と、鉄之助もそのようにかれを呼んだ。
「これから、我々はどうすればいいんでしょう? “新撰組”と云っても、隊士の方は、島田さんたち六人っきりですし……」
会津にァ、斉藤一がいる。あいつが率いている連中をあわせれば、そこそこの体裁は取り繕えるさ。――まぁ、この先、“新撰組”が存続できるか怪しいもんだが……」
 だが、と鉄之助は思った、まだこの人がいる限り、“新撰組”は死にはしないのだ。
 土方歳三という旗印がある、この人が生きてあるうちは、何人にも新撰組を壊させはしない。この人につき従うものたち――島田や中島たちが終わらせない。たとえ、ただ一人の隊士しかいなくなったとしても。
「――俺は、どこまでも副長にお供します」
 鉄之助は、強い気持ちで、そう告げた。
 そうだ、沖田と約束したではないか。かれが追いついてくるまでは、何があってもこの人の身を守るのだと。
 ――俺が追いつくまでに、この人の身に何かあったら、承知しませんよ。
 沖田は、そう云ったのだ。それならば、この人は、自分が守る。誰を楯にしてでも――それが自分の身であってすらも。
 副長は、それを聞くと、一瞬沈黙し、やがて照れたように、
「生ァ云ってんじゃねぇよ、市村」
 片頬を歪めて、微苦笑した。
「――ともかく、当座の行く先は日光だ。権現さまのもとに集って、態勢を立て直そうってぇ肚づもりらしいが……そう上手くいくもんかなァ」
 最後は独白のように、そう云って。
「――まァいい。……俺たちは、第一伝習隊の秋月さんと、先鋒隊として宇都宮を目指す。これから、戦続きだぞ」
 と笑った副長のその顔は、まるっきり、悪戯を思いついた悪餓鬼そのものだった。



 そもそも、先鋒隊が、本隊、後鋒隊とは別の、下館を経て宇都宮へ至る街道を行軍したのは、街道筋の譜代諸藩を説いて、薩長との戦いに兵を投入させようという意図からであった。
「俺ァ、説得なんぞ、得手じゃねぇ。秋月さんに任せるさ」
 などと副長は云っていたが、訪れた下妻、下館両藩は、どちらも藩主不在で、交渉どころの話ではなかった。
 下妻藩主はまだ十一歳と云う幼君であったため、早々に水戸へ逃れたのだと云う。
 下館藩主は、もうかなりの齢であったが、こちらも笠間へ行って、不在。
 先鋒隊は、仕方なく、要請した物資を受け取るだけで、あとはひたすらに宇都宮を目指した。
 宇都宮へ進軍し、城攻めを行ったのは、四月十九日。大鳥率いる本隊の到着前で、堅牢さをもって聞こえた城にしては、一日での陥落と云う呆気なさだった。
 だが、城攻めの折についた火のため、宇都宮城は全焼。先鋒隊も、落とした城に入ることができず、やっと入城したのは、落城の翌日になってのことだった。
 そうこうしているうちに、南からは、薩長軍がひたひたと押し寄せてきていた。
 宇都宮落城の二日後である四月二十一日には、薩長軍が、南方の壬生に入城したと云う、偵察兵からの情報が入り、全軍は戦いを予期して高揚した。
 翌二十二日、両軍は、宇都宮から二里ばかり南の街道上で激突する。
 だが、総督・大鳥は、このとき病により指揮を執れず、また転戦による疲労もあってか、幕軍は大敗し、宇都宮城に帰還する。
 明けて二十三日朝、薩長軍は城下に迫り、宇都宮城周辺で激しい戦闘となった。
 抗戦するも、秋月は負傷、副長も昼ごろに、右足の甲に銃弾を受けて負傷、指揮を外れる。
 幕府脱走軍が宇都宮を支配しえたのは、わずか三日のことであった。


† † † † †


鉄ちゃんの話、やっとこ続き。短くすぱんと。


大鳥さんのキャラが、イマイチ判然とせず。『北走新選組』にひっぱられつつあるので、気をつけないと。


何か、理に落ちてるなぁと思いつつ、ここらへんはまぁ、そんな面白いところでもないしね。適当に飛ばして下さい。話として必要だったから書いたけど、きっと読んで面白いところじゃない。
鬼のエピソードをひとつ飛ばしてます(引こうとする伝習隊士をひとり斬り捨てた、っていうの)が、全体の流れにゃ関係ないと云うか、大事な話じゃないしな。
そう云や、宇都宮戦には、靖共隊もいたそうですね――ってことは、永倉さんもあそこにいたのかぁ。原田さんは江戸に戻ってるから、いなかったはず。見かけたのかな? どうなんだろう……
あと、足の怪我の部位は、電波的直感で。指と云うか、指の付け根近くの甲のとこだと思うんですが。電波ですので、根拠は求めないで下さいね……


ともあれ、この項、とりあえず終了。


ところで。
こないだの貰った説教の、本当のところがわかって、かなりこっ恥しい――ああもう、確かに後ろ向きになってましたよ! 私が悪うございました!
確かに、私は私なのだよね――今の自分を肯定しなくては。つーか、いかに腰が据わってなかったかが痛感されて、本当に恥しい……背中に背負ってた鬼は、肚にきちんと納まりました。
あとは、どうやって、最低ラインにまで落ち込んだ女率を上げるかなのですが――勉強しなくちゃ上がんない女率って、元の域にまで戻せるのかよ……