闇路

 血の跳ねた衣を脱いで、新しいものに換える。
 顔を拭い、髪を整え、今しがたの血の臭いを、この身から拭い去り。
 身を清めるのは、これから隊士たちに語らねばならないからだ。今日のこの仕置きの意味を、はっきりと示してやらねばならないからだ。
 ふと振り返ったその先で、総司は凍った顔をして、ただじっと佇んでいる。
 その手を引いてやろうとすると、刹那、ぴくりと身体が震えるのがわかった。
 拒むように、その顔が歪む。
 それを見ぬふりをして、白湯の器を取らせた。
「――飲め」
 いつの頃からか、人を斬らせた後には、こうして白湯を飲ませてきた。昂ぶり過ぎた心を鎮めるよう、そうして眠りにつかせてきた。
 だが、今日は総司は眠るまい。どれほど白湯を飲ませても、どれほど言葉を尽くしても。
 総司はおとなしく、こくりこくりと白湯を飲んでいる――だが、その顔は、人形のように凍ったままだ。
 さもありなん、今日斬った相手は、今までとは違う。総司が兄のように慕っていた、あの男――山南敬助だったのだから。
「――歳」
 呼ばれて、無言で頷いたのは、口を開けば何を云い出すか、己自身にもわからなかったからだ。
 近藤のあとについて、隊士たちの前に進む。総司は、すこし離れて、組長たちの列に並ぶ――凍りついた顔のままで。
 腰を下ろすと、近藤は、山南の最期がどのようなものであったかを、重い口調で語りはじめた。
 前に坐った組長たちが、悲痛に眉を寄せるのが見えた。
 永倉、原田は腕組をして無言、斉藤は平静を保とうとし、北辰一刀流の同門であった藤堂は、きつく眦を上げている。伊東甲子太郎は、痛ましげに眉を寄せている。皆、山南のために嘆いているのだ。
 彼らが、山南を逃がそうとして、裏木戸を開け放し、見張りをも立てずにおいたのは知っていた。山南は、隊内の誰からも慕われていたのだし、そんなことがあっても当然と――ああ、いや、正直に云うならば、そこで逃げてくれれば良いと、自分自身も思っていたのだ。
 それなのに、山南は逃げなかった。
 逃げずに今日を迎え、自ら腹を切って果てた。弟のように慈しんだ、総司をその介錯として。
 ――俺を、鬼だと思うだろう。
 京にくる遥か以前からの同志を、隊規だからと簡単に斬れる、鬼だと思っているだろう。
 副長と呼ばれるようになってから、鬼と呼ばれることには慣れていた。違反者は即切腹の隊規を作ったのも、それを当て嵌め見せしめとしたことも、己の定めた道を歩む上では仕方のないことと割り切ってきたはずだった。
 ――鬼。
 隊士たちの見つめる目が、無言でそう語っている。
 ――鬼だ、人でなし、隊規にかこつけ、邪魔者を斬った、鬼畜生……
 そうだ、俺は鬼だ――こぼれそうになる昏い笑いを、奥歯でぐっと噛み殺す。
 隊を分かとうとする“邪魔者”を、難癖をつけて斬った、血も涙もない鬼だ。云い訳などしない、山南を斬ったのは、まったくもって自分たちの都合でしかなかったのだから。
「……浅野内匠頭でも、こうは見事にあい果てまい」
 近藤が、山南の態度を評して云った瞬間。
 総司の眼が、ひどく剣呑に光ったのがわかった。
 ――おめぇも、俺たちを鬼と思うか、総司。
 思わぬわけはない、そうとも、自分たちは鬼だ、山南が邪魔になり、かと云って離れていくのを看過もできず、こうして斬った。それが鬼の所業でなくて、何であろう。
 総司が、あんな眼を近藤に向けることなどなかったのに――だが、それもこれも、山南を斬ると決めさえしなければ、避けられたことであったのだ。
 総司は、自分たちから離れていくのかもしれない――漠然と、思う。兄と慕った男を斬れと命じた自分たちを、憎んで、離れていくかも知れない。
 だが、そうだと云って、総司を批難することなど、自分にはできないのだ。すべては自分の撒いた種、刈り取るのも自分以外ではあり得ないのだから。
 近藤は、泣いている。涙を流して、山南の人柄を称えている。
 ――だが、俺は泣きはすまい。
 強く思う。
 やすい涙など流すまい。山南のために嘆いてなどみせるまい。
 ――俺は、鬼だ。
 新撰組の存続のために、山南を斬ると決意した。一時離れて頭を冷やしたいと、そう云っていた男を、騙し討ちのように捕らえ、切腹に追いこんだ。それが鬼の所業でなくて、一体何だと云えるのか。
 所詮は、己の都合で殺したのではないか――山南より伊東を選んだ近藤も、山南より“新撰組”を選んだ自分自身も。
 そうであれば、山南を斬ったことに、云い訳などすまい。
 ――俺は、鬼だ。
 鬼ならば鬼らしく、一筋たりとも涙など流すまい。山南を斬ったことを、後悔もするまい。鬼であろう、独りの時でも――夢の中であってすらも。
 云い訳などすまい。己を正義と飾りもすまい。鬼であればこそ斬ったのだと、後悔などせぬと、傲然と頭を高くしてあろう。
 そうでなければ、何のために、山南は死んだのか。
 近藤は、まだ涙を流して山南を称えている。
 その姿に、すこし胸の底が冷えるのを感じた。
 ――あんたは……あんたが、そうして嘆くのか、近藤さん。
 近藤自身が、山南を邪魔と思ったにも拘らず、そうして大げさに嘆くことができるのか。
 ――他ならぬあんたが、そうやって嘆けると、そう云うのか。
 独善だ、と思いながら、それは自分も同じと思う心が、どこかにあった。
 そうだ、自分とても独善だ。山南の離反によって、新撰組が崩れるのを恐れた、自分の心も独善でしかない。
 だが、だからこそ、決して自分は嘆いたりはすまいと思う。
 ――俺は、鬼だ。
 新撰組を守る、鬼。
 それ故に、批難も謗りも、甘んじて受けてやろう。だが、決して今日この日のことを後悔などはすまい――自分たちが斬った、山南を貶めぬためにも。
 ――鬼だ。
 そうして、血塗れた闇路を往こう。
 その果てにあるものが、もはや光に満ちたなにものかでないと、知れていたとしても。


† † † † †


山南さん切腹後、鬼の呟き。
文章むちゃくちゃ――感傷かな、そうかも。
実は『風光る』を集めはじめたのですが、どうしても山南さん切腹の巻だけ、買いたいと思えない――あんな綺麗事じゃなかったよ。行き違いなんかじゃない。
と云う、ただそれだけの文なんですけれども。
つーか、思うままに書いたので、文脈がばらばら……意味わかりますか?(汗) 雰囲気だけでもわかってもらえるといいんですけどもね……


あ、そうそう、うちの山南さんは、“さんなん”ですので。
そういや、池田屋の件を吐いた古高さん、“こたか”さんって呼ばれてることがあるみたいだけど、“ふるたか”さんだよねぇ? 素でそう読んでたんですけども――違うのかな?