めぐり逢いて 3

 原田・永倉の離脱について、鉄之助は、詳しいことは何も知らない。
 隊内で噂がたって、甲州で、ふたりが新撰組を抜けたと聞いただけだ。
 何も、聞こえてはこなかった、局長の暴言にふたりが激怒し、もの別れに終わったと云うこと以外は――そうして、そのやりとりの間、副長が何も云わずにただ坐っていたこと以外は。
「――永倉さんたちは、前々から、近藤さんが増長してるって云ってましたからね……それで、“家来としてなら受け入れてやらなくもない”なんて云っちゃあ、そりゃあ怒りもするでしょうよ」
 見舞いにいって簡単に話をすると、沖田は眉をよせて、そう云った。
 沖田はこのころ、神田の松本良順の医学所から、千駄ヶ谷の植木屋の離れへと移されていた。
 鉄之助は、勘定方などの人間とともに、江戸に残されていたので、毎日のように沖田の許を訪れていた。
「近藤さんもね……昔は、そりゃあいいひとだったんですよ。市村君は知らないだろうけどね、俺にとっちゃ、父親みたいにおっきくて、いろんな人を受け入れて、本当にでっかい人だって思ってた――土方さんは、意地の悪い兄貴ってかんじで、俺はいっつも、ふたりにくっついて歩いてたんだよ。……あれから、ずいぶん遠くまで来ちまったなァ……」
 遠い目をする沖田は、もはや半ばこの世からあの世へ渡りかけているかのように、どこか透明な気配をまとっていた。
 それは、あるいは顔色の白さのせいだったのかも知れない。
 沖田は、ここへきて、ますます青白く、痩せ細ってきていた。もう、誰かの助けなしには、身を起こすことも難しい様子で、それでも、訪ねていけば、微笑して話をしてくれる。咳がひどく、息をするのも苦しいだろうに、鉄之助と話している間は、そんなそぶりも見せようとはしないのだ。
 ただ、一定の距離から踏み込もうとすると、そのときばかりは強い声音で拒んだが。
「だから、近づかないでくださいよって云ったでしょう。君には、土方さんのそばにいてもらわなきゃならないんだ。感染られでもしたら、大変じゃないですか」
 そんなことを云いながら、そのくせ、昔と同じように、鉄之助に菓子を与えてくれるのだった。
「――副長は、何をお考えなんでしょう」
 貰った菓子を食べながら、鉄之助はそんなことを口にしていた。
 副長助勤がふたり、新撰組から離れようと云うときに、かれは何故、ひとことも口をはさまなかったのか。
「……永倉さんたちの云うことも、わかったからじゃあないのかな」
 沖田は、淋しそうに微笑んだ。
「近藤さんがね――昔のまんまだったら、永倉さんや原田さんだって、離れていこうとは思わなかっただろうから……ふたりの気持ちがわかったから、それで何も云えなかったんじゃないのかな」
「――新撰組は」
 と云って、鉄之助は黙った。
 どうなるのか、と訊いて、どうするつもりなのか。
 自分は心に誓ったではないか、副長と沖田のそばにあって、ふたりを支えてゆくのだと。
 自分が生きるのは、新撰組のためではない。副長と沖田のためだ。新撰組のゆくえなど、そうであればどうあっても構わないではないか。
 沖田は、鉄之助の思いを察したかのように、またくすりと笑みをこぼした。
「市村君、土方さんに伝えて下さい――思う方へ行っていいんですよ、って」
「……それって」
 どういう意味ですか、と問う鉄之助に、沖田は、さァ、ととぼけて見せた。
「……土方さんって、実は結構背負いこむ質なんだよねぇ。隊士が死んだら、“俺が悪かった”だし、ときどき、見てるこっちが鬱陶しくなるんだよ。――“勝手に他人のもんまで背負いこんでんじゃねぇや!”って、何度も文机ひっくり返したなァ。――あのね、市村君」
 沖田は云って、鉄之助の顔を覗きこんできた。
「土方さんが、へんな風に何もかんもを背負いこんでたら、君が背中を蹴飛ばしてあげて下さいね。あの人はもともと、もっと好き勝手生きるひとだったんだ。そんなひとに、勝手に俺や誰かを背負われたって、嬉しくとも何ともねぇ――そうだってことを、あの人にわからせてやって下さいね」
 鉄之助は――言葉につまった。
 このひとは、もはや、自分の命数を見定めているのかと、自分のいのちの焔の消えるときを、じっと見つめているのかと、そう思って、熱いものがこみ上げてくるのを感じたから。
 だが、落涙するのは憚られ、あわてて笑顔を作り、明るい声で云う。
「冗談でしょう。沖田さんならともかく、俺の脚じゃ、副長の背中には届きませんよ」
「おや、あのひと猫背だから、平気だと思うけど? 大体、へこんでるときは坐りこんで動かないから、市村君どころか、近所のちびどもにだって蹴られますよ」
「そんなことしたら、大目玉でしょう」
「それでいいんですよ――へこんでたって、碌なこたぁないんだから」
 沖田は、そう云って、またくすりと笑った。
「あのひとァ、所詮は多摩のばらがきなんだ。新撰組副長なんぞと呼ばれて、とうとうお侍にまでなっちまったから忘れてるみたいですけどね、もとはと云やァ、ただの喧嘩師なんですよ。誰が、喧嘩師なんぞに背負われたいもんですかい。へこんでやがったら、そう云って蹴りつけてやりゃあいいんですよ」
「……それは、沖田さんの役目ですよ」
 鉄之助は云って、不覚にも落涙した。
 駄目だ、沖田の前でこんな風に泣いては駄目だと思うのに、一度あふれた涙は、とめどなく流れて、鉄之助の頬を濡らした。
「生きて、くださいよ……」
 しゃくりあげるようにして、鉄之助は呟いた。
「副長のために、生きてくださいよ……俺じゃ、とても……」
 あの人の支えには、なれないのだ。それは、とおい昔につよく思い知らされたこと。この人がいなくなってから、あの人がどれだけ沈みこんでいたか、そのときの自分たちが何ものであったのかもわからないのに、そればかりは鮮明に憶えている。
「市村君……」
 沖田が、困ったような顔をする。
 ああ、そうだ、この人は、この人たちは知らないのだ――かつて自分たちがどれほど近くにあり、どれほどかたく結びついていたものか。それを知るのは、鉄之助ただ独りなのだ。
 それでも、鉄之助が憶えているのなら、このふたりを引き剥がさない、引き剥がさせはしない、そう思っていたのに。
「治って、くださいよ……」
 そうでなくては、自分がここにいる意味とは、一体どうなると云うのか。
「市村君、どうして君が、そこで泣くんですか」
 沖田は云って、苦笑した。
「……いいから、今日はもう帰りなさい。もうじき、土方さんも戻ってきますよ。そうしたら……」
 だが、その後の言葉はなかった。
 副長が戻ってくる、だが、それでいったい何が変わるのだろうか。
 原田・永倉は離れた――そして、そのふたりが抜けた以上、離脱者はそれにとどまるまい。
 ――新撰組は、崩れる。
 副長の言葉が、改めて身に染みて感じられた。
 新撰組は、崩れる。そして、誰も、それを止めることはできないのだ。沖田も――副長ですらも。
 不安が胸を締めつけてくるのを覚えながら、鉄之助は、一礼して沖田の許を辞した。


† † † † †


鉄ちゃんの話の続き。並べ換え済み。


最後のすわりが悪い……が、ちょっと今は思いつきません。
甲陽鎮撫隊の時って、勘定方とかは同行したのかな? 総司は千駄ヶ谷だったらしいのですが――何となく、鉄ちゃんいなかっただろうなぁと思って、こんなカンジにしてみたのですが……
どうも、最初にしくると、修正が難しいわ……