北辺の星辰 10

 四月二十九日、会津若松に入った歳三たち一行は、城下の清水屋という宿に投宿することになった。
 と云うのは、この宿には、幕府御典医であり、かねてより新撰組とも懇意である松本良順が、江戸を抜けて投宿しているということであったからだ。
 宿に落ち着いてすぐに、唐津藩士・松川精一の訪れをうけ、簡単に宇都宮戦の様子を話して聞かせたあとで、松本良順がむこうから部屋を訪れてくれた。ほぼ二月ぶりの再会だった。
「――土方、また、随分ひどくやられたそうじゃあねぇか」
 延べた床の上で身を起こすと、その枕辺に坐った松本医師は、眉を寄せて云ってきた。
「……なァに、すこししくじっただけですよ。これしきの傷」
 とは云ったものの、歳三は、自分が脂汗をかいているのをわかっていた。
 身体がだるい。足の傷は相変わらず鈍く疼いているが、それよりも、続く熱が、身体を弱らせているのだ。
 もともと、歳三はさほど熱に強い方ではない。身体は強健だが、その分、一度熱を出すと、枕から頭の上がらぬことも多かった。まして、そのような状態がもう六日も続いているとなると、熱に負けて、ほとんど食事も入らぬような状態になってしまう。
 島田たちから、歳三の様子を聞いたのだろう、松本医師は、渋い顔になって首を振った。
「軽口が叩けるのは大したもんだが、ここんところは、水気しか取っていねぇそうじゃあねぇか。それじゃあ、治るもんも治らねぇ。飯はきちんと食って、おとなしく養生しろ。――どれ、傷を見せてみな」
 云われて歳三は、おとなしく足の傷を見せた。
 松本医師は、傷口を覆う布をそっと捲くり、その様子にまた眉を寄せた。
「銃創だな。――弾は、抜いてねぇのか」
「……その暇もありませんでしたからね」
 宇都宮からは、敗走するので手一杯だった。その上、重傷の兵たちであふれかえってもいた。傷口に焼酎を振りかけて、血留めに縛り上げておくのがせいぜいで、満足な治療を受けられぬものも多かった。
 足の傷なら、死ぬことはない。そう思って、歳三も、その程度の手当てで終わらせていたのだが。
「……こいつぁ酷い」
 松本医師は、呻いた。
「骨まで砕けてるかもしれねぇな。ともかくも、弾を取り出さねぇと――」
 云いながら、立ち上がって外へ出ようとする。
「今からですか」
 歳三が問うと、松本医師は強く頷いた。
「こういうのぁ、一刻も早い方がいい。待ってな、今、用意をするからな」
 やがて医師は、大きな鞄を運んできて、宿のものには焼酎を持ってくるよう云いつけた。
「悪ぃが、麻酔ができんのだ。例のあれでいかせてもらうぞ」
「あれ、ですか……」
 それはまた、大層な治療になりそうだ。
 歳三は苦笑した。
 焼酎が届けられると、松本医師は、大きめの器に酒をなみなみと注ぎ、歳三に差し出し、
「呑め」
 と云ってきた。
 きつい酒精のにおいに顔をしかめながら、歳三はそれを一息に干した。
 途端に、かっと胃の腑が熱くなった。熱でやられた頭がさらに朦朧として、目の前がぐらりと揺れる。堪えきれず、歳三は床の上に倒れ伏した。
 これが、松本医師が、麻酔のない時によく使う手だった。強い酒で感覚を鈍らせて、それで手術の痛みをごまかさせるのだ。
「はじめるぞ」
 医師の声が、やや遠く聞こえ――
 次の瞬間、鈍い痛みを訴えていた右足を、鋭い痛みが貫いた。
 思わず、夜着の袖を含んで、噛みしめる。
 痛い痛い痛い――肉を切り裂かれ、その奥を何かが抉っている。骨に直に響くその動きに、覚えず足が突っ張った。
「誰か、ちょっと押さえててくれ」
 医師の声に、幾つもの手が、歳三の跳ね上がりそうになる足を押さえこんできた。
 知らず、くぐもった呻きがこぼれるのを、噛みしめた衣の袖が吸い取ってゆく。
 どれほどの時が過ぎたものか。
 かちり、と小さく音がして、
「――よし」
 声とともに、抉られるような痛みが止まった。
「とりあえず、弾は取れたぞ。安心しな」
 歳三にか、まわりのものにか、医師がそう云う声が聞こえ。
 安堵したその途端、ふと気が緩むのを感じ、歳三は、そのまま意識を闇へ飛ばした。



 弾が取れたとは云え、それで途端に怪我が治るはずもなく。
 歳三は、それからも暫くの間、引かない熱に悩まされていた。
 ようよう食事は摂るようになったが、まだそれほどの量が入るわけではない。
「意外に弱ぇんだなぁ、おめぇさん」
 医師に、心底意外そうに云われ、歳三は苦笑を返すしかなかった。
 そうだろう、“鬼の”副長が、たかだか足の銃創ひとつで、これほど弱ろうとは、まわりの誰も思いはしなかっただろうから。
 歳三も以前であったなら、自分が弱っているところなど、島田あたりには見せはしなかっただろう。自分の弱ったところを見せれば、新撰組の箍が外れ、野犬の群れのようであった隊士たちが、好き勝手はじめるとわかっていたからだ。そうなれば、京の市中に潜む不逞浪士どもも、ぞろ暗躍しはじめると思っていた。だから、たとえ倒れることがあっても、隊士たちにはその事実すら伏せて、とにかく箍を緩めるまいと気を張ってきたのだ。
 だが、今や“新撰組”は名のみのものとなり、自分が束ねる隊士もわずか六人になった。今さら、取り繕うべき何かがあるわけでもない。弱った自分を隠すまでもないのだ。
「副長、早くよくなられて下さいね」
 市村鉄之助は、何くれとなく歳三の世話をしながら、そう云ってきた。不安げな面持ち、主を気遣う仔犬のような。
「あァ……」
 歳三は、頷いて市村の頭を撫でてやりながら、これが沖田であったら何と云っただろうかと、ふと考えた。
 ――どうせ、碌なこたァ云わねェんだろうけどなァ……
 “まったく、だらしねェですぜ、鬼の副長のくせに”“「鬼の霍乱」ってェのァ、こういうのを云うんですかねェ”――どうせ、そんなことを云いながら、世話は焼くのだろうけれど。
 だが、その沖田は、江戸の空の下、ただひとり病と闘っているはずだ。
 ――……どうしてる、おめェ……
 ひとりで、心細く思っていないか、置き去りにした自分を怨んではいまいか。近藤のことを知って、怒りを感じてはいまいか。
 そんなことを今さら気に病む自分が、ひどく滑稽に思えた。
 ――弱気になってるのか、俺ァ……
 傷を負って、身体が弱って、心まで折れそうになっているのか。
 こんなことでどうするのだ、新撰組を守るのは自分だと、流山のあの時、自分は近藤に啖呵を切ったではないか。それなのに。
 だが、一度挫けると、心はなかなか浮上しはしなかった。
 だから。
「同じ宿に、幕臣の望月殿とおっしゃる方が、江戸落ちして投宿されておいでのようですよ」
 島田が、宿の主から聞いたと思しき話を持ってきたときにも、
「そうか、一度会っておくべきなんだろうなァ」
 と、どちらともとれるようなもの云いをしてしまったのだろう。本来の歳三であれば、「会う必要などない」と、切り捨ててしまったはずなのに。
 どのみち、体調が万全ではなく、起き上がることもできないでは、隊士たち以外の誰かに会うことなど、できるはずもない。
 だから、歳三は、そんなことを云ったまま、部屋で療養していたのだが。
「……副長、望月光蔵殿が、お会いしたいとお越しです」
 島田が、やや慌てた口ぶりで告げてきたのは、それからほどないある日のことだった。
「望月殿、と云うと、この間聞いた、江戸落ちした幕臣と云うおひとか?」
 歳三は眉を寄せた。
 あれからちらちらと聞いた話では、望月と云う男は、江戸では文官であったと云う。
 正直、歳三は、文官と云う人種が好きではなかった。戦いの折、かれらは旗を振って戦いの号令を叫ぶが、実際に戦い、また部下を死地に送るのは、歳三のような末端の武官――そう、自身を呼ぶことが許されるなら――であり、文官たちは、兵卒の死に責任も何も持たぬからだ。
 だが、わざわざ訪ねてきたものを追い返すわけには、もちろんゆくまい。
 ――仕方がない。
 未だ熱は引かず、起き上がることもままならないが、そこは勘弁してもらうよりない。
 歳三は密やかに吐息して、望月を通すよう、島田に頷きを返してやった。


† † † † †


鬼の北海行、続き。会津入り――遠かった……
つーか、鉄ちゃんの話の方では8章くらいに会津入りしてるのに、鬼の方では(流山スタートなのに)何故もっと遅いのだ……
つーか、いきなりちょいグロなシーンですみませんねェ……


それはともかく、『新撰組全史』(新人物往来社)を読み返してたら、松川精一=大野右仲の『薄暦』に「足の甲へ手疵を受けし由」とあるそうで――ふふふ、電波情報も間違ってないと云うことね、と含み笑いをしてみたり。何しろ、鳥さんとは宇都宮でもあんまり会ってなかったけど、大野さんは鬼と会った上でこれ書いてるわけだからな。


そして、この後、例の望月さんとのやりとりが入るわけだ。つーか、思ったけど、これは起き上がれないだろう、鬼……こういう状態で、何で望月さんと会いたいとか云ったかな。
とか云ってたら、どうもこれ、伝言ゲームになって伝わったらしい(電波情報)……そうだよな、鬼、ああいうタイプの人間には、「お会いしたい」なんて積極的に話ふったりしないよな。――まァ、詳細はこの後の段で書きますが。
しかし望月さんも、「会いたい」って云われたからって、よく若造の鬼なんかのところに出向いたよな。悪名高い新撰組の鬼副長に、興味津々だったってことですか。だから、出向いたことには文句書いてないのか。まァ、そんなとこだろうさァ。


ところで、『新選組実録』(ちくま新書)読み直してて思ったんですけども、鬼の戦線離脱後、鳥さんみたいな不甲斐ないのの下では戦えないって、本隊おん出てついてきちゃったのって――もしかして、伝習隊第一大隊の内田さんとかあたりですか桑名藩兵とかじゃなく!
おぉおい、内田さん! ちょっと、一応あなたの上官は、(秋月さんの上は)鳥さんでしょ! しかも、文書なんかでは、鬼が傷病兵を率いて会津入り云々となってるそうですが――電波情報によると、ぴんぴんした兵だったそうじゃないの!
……鳥さんが僻むはずだよ、ふぅ……


この項、終了。望月さん、名前だけしか出せなかった……