北辺の星辰 6

 幕軍およそ二千の兵は、四月十二日に鴻之台を出立、大鳥の率いる中・後軍は、街道筋を避けて北上する経路を取ったが、歳三たちの先鋒隊は、薩長軍の目を晦ますためもあって、街道筋を進むことになっていた。
 十三日には利根川の渡しである布施に到着、河水の増水のために翌日は滞留したものの、十五日には渡河を終え、常盤国水海道まで兵を進めた。
 薩長の兵の影は、まだあたりにはない。だが、この先の下野国・宇都宮藩は、既に薩長軍に恭順の方向で藩意をまとめていると聞き及んでいる。
 ――できることなら、宇都宮へさしかかる前に、もうすこし兵力を増やしておきたいところだが……
 そう考えた歳三は、先鋒隊隊長である秋月登之助と図り、宇都宮までの途上にある藩国、下妻藩と下館藩に対し、協力を呼びかけることにした。
 下妻藩へは秋月が四百の兵とともに赴き、下館藩へは歳三が、手勢二百五十とともに訪れたのだが。
 下館藩の藩主は、笠間へ出向いており、不在。一方の下妻藩主は、まだ十一歳の幼君で、この騒乱の最中に身を処せるとも思えぬため、早々に水戸へ逃れたのだということだった。
 下妻藩は、四百の兵にすら抵抗できず、十名の藩士を同行させることに合意したが、下館藩は、兵を差し出すことばかりは赦されたいと、軍資金として金四百両、兵糧米百俵、味噌や醤油などを差し出してきただけだった。
 あてが外れた、と、歳三は思わずにはいられなかった。
 親藩ではないにせよ、下妻・下館とも、譜代の大名家であるはずだ。しかも、下野国武蔵国の隣り、江戸とも遠からぬところであるのだ。
 宇都宮藩もそうだが、このような近隣の譜代大名にまで背かれ、あるいは助力を躊躇される、これでは、
 ――幕府の命運は、本当に危ういってェことか……
 そうして、今この段階でこの有様では、佐幕派の多いと云う奥州列藩とて、どのような具合であるか知れたものではない。
 だが――それでも、最早後戻りなどできはしないのだ。
 歳三たちは、そのまま下館城下で秋月と落ち合い、翌日にはまた行軍を再開した。
 十八日には東蓼沼の満福寺に宿営、そこで宇都宮攻略の軍議を開いた後、いよいよ翌十九日、宇都宮城攻めを開始する。
 早朝に満福寺を出立し、昼前に成願寺で休息、その後一気に宇都宮へ。
 歳三が桑名隊などを率いて先陣をつとめ、秋月の伝習第一大隊を中軍、回天隊を後軍として、宇都宮手前の平松村で、戦端は開かれた。午前十時ごろのことだ。
 決着はすぐについた。一刻ほどの砲撃戦ののち、宇都宮方は戦意を失ったものか、散り散りに逃散してしまったからだ。
 ――ぬるい。
 宇都宮藩は、よもや、幕軍の襲来を予期してはいなかったのだろうかと、歳三は思った。そうでもなければ、このあっけない勝利はありえないと、これまでの苦い経験からは思われたのだ。
 あるいは――ここで砲戦になったのは、宇都宮城を攻められる前に、こちらの手勢をわずかでも削ぎ、自分たちの兵は逃げ出させて、なるべく数を保とうという思慮からであるのか。
 そうであれば、敵は寡兵であるのかも知れぬ――その場合には、窮鼠猫を咬む、手ひどい反撃にあうことも考慮に入れねばなるまい。
 ともあれ、勝利を収めた歳三たち前軍は、宇都宮城下を流れる田川を渡り、下河原門を目指して進軍した。秋月の中軍は、渡河せずに北上して、中河原門と今小路門を制圧、残る後軍は南館門へと兵を進めた。
 歳三たちの前軍が、あるいは一番の激戦であったのかも知れぬ。
 下河原門を守る兵たちは、ここにより多く配置されていたからか、あるいは気骨のあるものばかりであったからか、こちらの銃撃に果敢に反撃し、また打って出ては城内に戻るの遊撃を繰り返してきたので、兵たちは怯み、宇都宮藩兵のあげる鬨の声を聞いては身をすくめるようになってきた。
 ――何をやってやがるんだ!
 久く“人斬り集団”新撰組を率いてきた歳三は、手下が怯することに慣れていなかった。兵は、討ち死にの覚悟で一戦一戦を戦い抜かねばならぬ、それが当然のことと考えていた。
 加えて、先刻から埒の明かぬ攻防に苛立ってもいた。
 兵が浮き足立ってきているのがわかる、だがそれは、鳥羽・伏見での敗北を再現するばかりでしかない。兵たちが互いを鼓舞しあうためにも、士気を高め、兵を前へ前へと進めなくてはならないと云うのに――
「……ひ、ひィっ……!」
 その目の前で、兵が一人、敵に背を向けて逃げようとするのが見え――
 ――馬鹿野郎!!
 次の瞬間、歳三はかっとして、佩刀の鞘を払い、その兵を斬り倒していた。
「退くな! 退くものは斬る!」
 怒りのままに声を張り上げれば、兵たちが、刹那、怯んだような表情になった。
「退くものは、誰でもこのとおりに斬り捨てるぞ! 俺に斬られたくなくば、進め! 敵は寡兵だ! 進め!」
 血刀を下げつつ叫べば、周囲の新撰組隊士から「応!」の声が上がった。
 ――よし。
 これで、兵は前進するだろうと思い、歳三は後ろへ退いた。
 兵は、確かに前進した――ただし、ほんの一時の話ではあったが。
 新撰組の隊士たちは、前へ前へと斬りこんでいく。だが、相変わらず桑名藩兵は及び腰で、歳三が退いてやや暫くすると、また浮き足立って退こうとする。刃を手に進めば進み、退けば退く――これでは、どうにもなりはしない。
 ふと見れば、南館門を攻めていたはずの回天隊隊士が、この下河原門攻めの陣に加わっているのに、歳三は気がついた。
 後軍も、宇都宮藩兵の抵抗に、中々攻めあぐねているのだろうか。それで、逃げた隊士たちが、この下河原門の攻略にまじってきたのだろうか。
 仕方がない――歳三は肚を決め、一旦兵たちを退かせた。
 陣容を整え、再度城門へ突撃させる。後ろからは、鉄砲による援護射撃、新撰組隊士には、先陣切って突入するよう云い含め。
「――進め!」
 叫びながら、自身も白刃を閃かせ、敵陣に斬りこんでゆく。左右には、島田、中島などが、やはり敵を斬り伏せながら追い上げてくる。そうして、その後ろから、桑名藩兵たちが鬨の声を上げ、付き従ってくるのがわかった。
 島田たちが、飛来する銃弾をものともせずに、遊撃手を切り伏せていく。白刃が舞う、そのたびに、朱の花が散り、敵兵が倒れ伏してゆく。
 ――いける……!
 敵が、怯んだのがわかった。
新撰組副長、土方歳三、参る!」
 名乗りを上げ、刃を振るう。己の名が、宇都宮藩兵たちにも怖れとともに届いていれば良いと願いながら。
 果たして、敵方は浮き足立ち、砲手なども、持ち場を離れて逃げ出すものが出てきたようだった。
「進め、進め!」
 流れが変わるのは、あっという間だった。
 下河原門の守衛隊は、雪崩を打って敗走しはじめた。
 それを見て、ようやく桑名藩兵も、追撃しながら城内へと斬りこんでいく。
 ――勝ったな。
 それを見送りながら、歳三は血刀を下げつつ、悠然と城門をくぐった。



 この日、昼前からはじまった戦闘は、午後二時には山を越え、幕軍の中・後軍も、宇都宮城内に突入した。
 午後五時には、城はほぼ陥落、宇都宮藩国家老・県勇記は城の放棄を決意し、城内に火を放たせて、虎口を脱した。
 幕軍は、宇都宮城を陥落させはしたものの、この火災により城内に留まるを得ず、東蓼沼まで戻って、その夜はそこに宿営することとなった。


† † † † †


鬼の北海行、続き。


いよいよ宇都宮城攻略です。攻城戦だよー、ちゃんと書けてるかー?(汗)
つーか、この間の出張、前橋じゃなくて宇都宮だったら良かったのに……翌日休みだったから、延泊して取材できたのになァ(←そもそも宇都宮店は改装してないじゃん)。
まぁそんなこと云ったら、津軽海峡を越えないままで五稜郭の話書きはじめることになりそうなんですが(→鉄ちゃんの話)。


しかし、はっきり云って、京都新撰組書いてるよりは、戊辰〜箱館戦争の話の方が、個人的には書きやすくて良いんですけども。
京都時代はね――イタいネタ(河合耆三郎さん切腹とか、山南さん切腹とか)多すぎで(汗)、正直書くのヤなんですよ。先生の話で青銅の馬や『アンギアーリ』のネタを書くのと同じくらいヤなんですよ……飲んだくれて、総司と一ちゃんに担がれて、へろへろしながら屯所に帰った鬼、とかなら幾らでも書くんだけど。殺伐としすぎです、京都時代。


あ、そうそう、他所のブログでひろったネタが元で、村上もとかの『JIN-仁-』(集英社)読みはじめました。この本、1巻目出たのって、あたしがまだコミック担当だった頃じゃないか? しかも、集英社(男)担当だったときに2巻目とか出てなかったか? ……6年くらい前の話だよねェ? なのに、何で先月出た最新刊が7巻なんだ――すげェゆっくり連載だな!
とりあえず、勝さんのぐだぐだ具合が好み♥ 鬼と総司は――総司は似てないよ! あんな真面目そうじゃない! と思いました。総司で似てると思ったのは、やっぱり黒鉄ヒロシ画のだなァ。何か似てる、と思う……多分。
しかしこの漫画、『代紋TAKE2』と『Black Jack』を足して2で割った感は――どうなんだ。どうですか。


この項、終了。