めぐり逢いて 13

 九月二十四日、新撰組は、仙台城下から里村島に移り、仏人将校ブリュネに行軍の伝習を受けたのち、幕軍本隊とともに石巻へと移った。
 そこでやや滞留して、渡航の艦船――大江丸――に乗り込んだのは、十月十日になってのことだった。
 鉄之助にとっては、二度目の船上生活だった。
「……揺れますね」
 停泊中の船内を歩き回りながら、副長に云うと、
「君も、船は二度目じゃなかったか」
 笑う声が返ってきた。
「……何となく、落ち着かないんです。腰が据えられないかんじで――」
「何、陸も船の上も同じことさ。富士丸のことを思い返してみりゃあ、何てこともないとわかるだろうよ」
 副長は云ったが、富士丸の時は、傷病兵の介護を手伝ったり、沖田の様子を見たりと忙しく、足元の不確かさなど考えてもみなかったのだ。
 だが、今こうして感じてみると、大坂や江戸で乗った川舟とはまた違う心許なさに、不安が募るのかも知れなかった。
 それに――どうやら、この北の海は、大坂と江戸の間の明るい海とは、水の色も、波の荒さもまったく異なっているようだった。この海の水の色は、昏く玄い。彼方まで青く、空と交わる線で白く輝いていたあの海とは、見るだけでも異なっているように思われるのだ。
 鉄之助がそう云うと、副長はまた笑って、
「だがな、あの海ァ、ここにまで繋がっているんだぜ。そんなら、そんなに大した違いはあるめぇさ」
 と手を振っただけだった。
 実際、副長は、船の上でも不都合なく過ごせるようで、ともに大江丸に乗りこむこととなった秋月登之助らと、いつもどおりに款談していた。
 鉄之助は、大型の艦船特有の大きく緩やかな揺れに悩まされつつ、出航を待った。
 翌十月十二日正午、大江丸は、回天、開陽など、他六隻とともに、停泊していた折浜を出港した。
 その後、宮古湾鍬ケ崎で物資の補給を行い、艦隊が蝦夷地に辿りついたのは、先鋒の回天などが十七日、大江丸は二十一日になってからの到着であった。
「――ここが、蝦夷地ですか……」
 小雪の舞い散る甲板に出て、遠くを望みながら、鉄之助は呟いた。
 白く染まりつつある岸辺が、彼方に見える――だが、そこには何もない。いや、この先の、上陸予定地である鷲ノ木村には、代官所も宿もあるとは聞いていた。
 だが、こうして船上から眺める蝦夷の大地は、ただただ広大な山と森が見えるばかり。これまで京、大坂、江戸と街中ばかりで過ごしてきた鉄之助には、それはひどく寒々しい光景として感じられたのだった。
「寒いですね」
 吐き出す息が、真っ白になる。
 十月の今でこれならば、真冬の――師走や睦月あたりには、いかほどの寒さになることか――そうして、その寒さが、幕軍の動きにどれほどの制約を与えてくるものか。
「それァ寒いさ」
 副長は笑った。
「嘘か本当か知らねェが、蝦夷地じゃあ、真冬になると川が凍っちまうそうだぜ。海も、氷で使えなくなるとか――そんなところにまで、“松前藩”とやら、藩国があるってェんだから、驚いちまう」
 そう、蝦夷地にも藩はあるのだ。松前藩の藩主・松前氏は、三万石の大名で、若狭の武田氏の流れを汲む古い家柄であるのだという。
 だが、この蝦夷渡航の本当の目的は、松前藩にあるのではなく、天領箱館の方にであるようだった。
箱館は、十年ばかり前に、貿易の港として、外国に開かれたんだとさ」
 そう云って、副長は、松前藩箱館について、簡単な説明を鉄之助にしてくれた。
 現在の蝦夷地は、商人の支配が強いこと、松前藩は、蝦夷地の支配を任されてはいるものの、どちらかと云えば北方警備――特に、南下の意図を見せる露国に対しての――の役割が強いこと、幕府が箱館を米国に対して開港したのも、露国の南下を睨んでの上であること――
箱館には、外国人の居留地もある。米国人が住みついてるってェ話だ。まァ、商売にこんなところまで来てやがるからにァ、ただの百姓なんかじゃねェ、いっぱしの人間ばかりだろうさ。榎本さんたちの考えてるのァ、そういう場所である箱館を制して、外国と協約を結び、その国の力でもって、幕府を立て直すってェことのようだが――はてさて、そう巧くいくもんかな」
「いかなかったら、どうなるのです?」
 鉄之助は、寒さばかりではないものに身震いしながら、そう問い返した。
 副長から返った笑みは、ひどく淡いものだった。
「巧くいかなかったら――まァ、徳川の世が、完全に終わっちまうってェだけのことさ」
「そうなったら、公方様は……」
「さてな、良くて知行召し上げのうえ蟄居、悪くすりゃあ――切腹かもな」
「そんな……公方様に、そんなこと……」
 いくら薩長が官軍となり、徳川家が賊軍となったとは云っても、鉄之助には、それは納得し難い未来図だった。
 今まで“お上”と仰いできたものが、これほど脆くも崩れ去るなど――徳川は大樹の如くに磐石の体制であると、そう信じてこれまできたのに。
「だから、俺たちはここまで来てるんじゃねぇか」
 副長は、くすりと笑った。
「まァ、もっとも、これがどこまで徳川のためになるのかは、知れたもんじゃねェけどな。――そう云うこたァ、それこそ勝さんみてェなおひとの考えることさ。俺ごときの知ったことじゃあねェ」
 “俺なんぞの知ったことじゃねェ”――それは、京で、江戸で、よく副長が皮肉まじりに口にした言葉だった。幕府の士官たち、老中や奉行たちの下してくる指示に、不満を抱きながらも従わざるを得ないときに、よく投げやりな口調で吐き出されていた言葉だった。
 だが、今のこの口調は、そんな内心の不満を押し潰すためのものではない。副長は、心底からこの行軍の意味そのものに興味を失ったのか。それは、そのことの意味は。
 鉄之助の心中とは関わりなく、幕軍の上陸は、着々と進んでいった。
 まずは二十日、先に到着していた回天より、三十名ばかりが鷲ノ木浦に上陸、箱館府の鷲ノ木村駐在員に、宿や物資の手配を命じた。
 どうにか宿場等の目途のついた翌二十一日に、陸軍の兵たちは鷲ノ木村に到着、榎本ら海軍の人間も上陸して一堂に会し、軍議が開かれた。
 その席で決まったこととみえて、その日のうちに、遊撃隊長・人見勝太郎が、嘆願の書状を携えて、箱館五稜郭へと先発した。
 その翌日、幕軍総督・大鳥圭介の率いる本隊が、人見の後を追って、峠下、七重、赤川を経て五稜郭――箱館奉行所のおかれている――へと行軍を開始する。安富の率いる新撰組本隊も、伝習士官隊、伝習歩兵隊などとともに、こちらの軍中にあった。
 副長は、額兵隊、陸軍隊を率いて、海沿いの間道――砂原、熊泊、川汲峠を経て、五稜郭へと至る――を進むことになった。
 副長に従う新撰組隊士は、島田魁、立川主税他、数名のみ――もちろんのこと、鉄之助もそのうちに加わって、白い北の大地へと歩みだしたのだった。


† † † † †


鉄ちゃんの話、続き。


本当は、九月二十八日あたりに、例の松山藩士とのごたごたがあったようなのですが、前の章で書いたから、省略。
しかし、そうか、石巻とか行ったのか――仙台も石巻も行ったことはあるのですが、新撰組とは縁のなかった時期(伊達政宗にハマってたころ)だったので、あんまり考えないで歩いてたなぁ。石巻は、Liveがあったから行ったんだし。
石巻って、一度だけ行ったときは夏だったはずですが、何か薄ら寒い気分になった覚えが――(お住まいの方、すみません/汗) 寂れてるとか云うのともまた違って(それなら、またLiveで行った大館駅前の方が……おっと/汗)、何だろう、土地と合わないみたいな感じだったのかなァ。よくわかりませんが。
大鳥さんとかのいた松島は、瑞巌寺や天麟院によく行きましたが、そんなことはなかったな。ああ、また天麟院に行きたいなァ、宗泰くんのお墓参りに。


さて、いよいよ蝦夷地上陸できそうだ!
鬼の戦死まであと7ヶ月! 鉄ちゃん箱館脱出まであと半年(一応四月中旬説を採っておく――今のところ)か。さてさて。
ところで、大江丸って、“木造蒸気船”ってことでいいのかな? 『新撰組全史』にも、函館市のサイトにも詳細が載ってない(もちろんWikiにも)のですが……


そうして、ちまちま進めている『風雲新撰組』、生方清三郎くんはやっと禁門の変が起こりました。只今5章目。
そろそろ鬼と同行可能になりそうな。つーか、手合わせ誰ともしてないんですけども……だ、大丈夫かな?(汗) つーか鬼、全然一緒に行動してないのに、何で友好度が96もあるの? 総司なんか、何回か同行願ったのに、まだ57とかなんですけど! くっ、葛きりとか豆餅とか与えるコマンドが存在すれば、友好度上げるのなんか一発なのにな!(←餌付けですか)


さて、この項、とりあえず終了で。