北辺の星辰 5

 四月十一日、歳三は、六人の隊士たちを連れて、鴻之台へと赴いた。
 かれらが到着したときには、鴻之台の総寧寺には、既に伝習隊の兵士たちや、江戸の浪士組などが続々と結集してきていた。
「やぁ、土方さん、お待ちしておりました」
 伝習第一隊長の秋月登之助が、かれらを出迎えて、云った。
「御覧のとおり、兵が続々と集まっておりますよ。歩兵奉行の大鳥先生は、まだ到着されてはおられませんが――この先の、市川の大林院で、主だったもので軍議を行うことになっているのです。土方さんも、ぜひご参加下さい」
「いや、私のようなものは……」
 れっきとした幕臣のかれらとは、歳三たちは立場が違う。歳三としては、もちろん軍議に参加して、今後の進路を知っておくことに吝かではなかったが、他の参加者が良い顔をしないのではないかと、それが気にかかったのだ。
 だが、秋月は笑っただけだった。
「何を云われる。皆、伏見の戦いで活躍されたあなたがどんな御仁なのかと、興味津々で待ち構えておりますよ。妙な遠慮はご無用。さぁ、参りましょう」
 促されて、歳三はおとなしくその後に従った。
 大林院には、既に幾たりもの人が集まっていた。幕臣たちの多く居並ぶそこで、歳三は、やや肩身の狭い思いで、軍議の場に坐っていた。
 軍議そのものは、ありがちな堂々巡りの論議のようなもので、歳三は聞くともなしに聞いているだけだったのだが、
「――では、先鋒隊の隊長は秋月君、参謀には、土方君でお願いする」
 議長役のその言葉に、慌てて一座を見回す。
「謹んで承ります」
 秋月は、平伏してそう述べているが、歳三は手を上げてそれを制した。
「お待ちください、私は幕臣と云っても、お取り立て戴いたばかりの新参でございます。それに、新撰組副長の肩書きも、隊士六人を抱えるばかりとあっては……」
 だが、まわりからかかった声は、歳三の言葉を否定するものばかりだった。
「そのようなもの、この場では拘りのない話だ」
「然様然様」
「我らとて、そもそも武士の出でないものも多い。それに、貴殿には、鳥羽・伏見での実戦の経験がある。それで、我らの勝利を確かなものにしてくれれば良いだけのこと」
「――然様でございますか……」
 そこまで云われては、無碍に断るわけにもいかなかった。
「それでは、私も謹んで承り……」
 歳三が頭を垂れた、その時。
「――いやぁ、遅れてしまった。すまんすまん」
 明るい声が外からかかり、唐紙がからりと開いた。
「――大鳥先生!」
 秋月が、嬉しそうな声を上げた。
「やぁ、秋月君。軍議はどうなっているのだね? 説明してくれないか」
 やや能天気とも思えるその声に、歳三は、顔を上げて、その主の顔を見た。
 陸軍歩兵奉行・大鳥圭介は、小さくて丸い目をした、一種愛嬌のある顔をしていた。大きく生え上がった額とふっくりとした唇、総じて、狡猾さや狷介さからはほど遠い――よく云えば人の良い、悪く云うならやや抜けたところのある、そのような面差しの男であった。
 聞いたところでは、大鳥と云う男は、播磨の医者の息子で、漢学を学ぶうちに、いつの間にやら蘭学と兵法に傾倒し、適塾で熱心に学んだその甲斐あって、幕臣にお取立になったのだということだったが――何と云おうか、そういう人の良いところが、満面にあらわれている。
 他の連中とにこやかに語り交わす様は鷹揚だったが、しかし、人を統率するための老獪さにはいささか欠けているようにも見受けられた。
 ――なるほど、勝さんが頼りねェと思うわけだ。
 大鳥と云う男は、そう云う意味においては、勝の望む資質――つまりは、情勢を的確に見極めるための見識、兵の進退を決するための決断力、時には策を弄して状況を打破する行動力――に、やや難があるのだろうと思われた。
 要するに、学のある人間にありがちな、頭の中でしか世間を知らぬもの、と云うことか。
 なるほど、俺はこの男のお守りを任されたと云うわけか、と、歳三は、胸中で密かに苦笑した。
 ――悪い人ではなさそうだが……
 しかしながら、このような情勢下では、人の良さだけでは渡ってはゆけぬのだ。それどころか、人のよさが却って害になることすらある――そう、かつての近藤勇のように。
「……秋月君、こちらの御仁はどなただね?」
 幕臣たちと挨拶を交わしていた大鳥は、初めて気がついたと云うように、歳三を見た。
「あぁ、こちらは土方歳三殿、御存知でございましょう、新撰組の副長であられる。勝先生のご紹介で、こたびの蜂起にご参加下さったのですよ」
 秋月の言葉に、大鳥は大きく破顔して、手を差し出してきた。
「ああ、こちらが、あの……参加戴けるとは、心強い! 私は、陸軍歩兵奉行、大鳥圭介と申すもの、以後、宜しくお願い致します」
「――土方歳三でございます、お見知り置きを」
 歳三は云って、大鳥の手を握り返し、よく“商人風”と云われたやわらかな笑みをたたえて、頭を垂れた。
 秋月は、その様を微笑みながらみつめていたが、ややあって、
「早速ですが大鳥先生、今しがた採決いたしましたところ、先生がこの軍の総督と云うことに、満場一致で決まりました。お引き受け戴けましょうな?」
「私が総督だと? それは辞退させてもらおう」
「何ゆえに! 全軍の指揮は、歩兵奉行である先生を措いて他に執れますまいに」
「正直に云って、私には自信がないのだ。何しろ、実戦の経験がない――それで、兵たちがついてくるものかどうか……」
 なるほど、この男は、よくよく人が良いものと見える――歳三は思い、内心でまた苦笑をこぼした。
 この男の気性そのものは、決して嫌いではない――平時であれば。
 だが、今は火急のとき、兵卒の心を掴む統率力と、時に冷徹ですらある判断力が求められる時なのだ。その時に「自信がない」などと口にするようでは、兵は意気を挫かれ、全軍の士気は下がってしまうだろう。
 大鳥と云う男は、実戦の経験がないだけあって、そのあたりの機微にはどうやら疎いようだ。
 これでどうやって、軍を脱走するほど気の荒い兵たちを束ねていくのだろうと、歳三は、他人事ながら心配になった。
 否、
 ――他人事なんぞたァ云っちゃいられねェか。
 その大鳥を担いでゆかねばならぬのは、他ならぬ歳三とて同じであるのだ。
 この男が頼りにならぬとなれば、兵を束ねてゆくのは、秋月や歳三など、個々の隊を取り仕切る人物の役目となる。悠長なことを云っている場合ではなかった。
 ――さて、勝さんも、大変な御仁の下に、俺をよこして下すったもんだ。
 とまれ、ここまできて、沖田の安全を任せた上では、投げ出すわけにもいかなかった。
 あとは、せめて大鳥が、実戦を行う上で暗愚な輩ではないことを、自分と兵卒のためにも祈るばかりだが――はたして、願うとおりであるものか。
 大鳥と秋月たちは、なおも押し問答のようなやりとりをしていたが、結果がどうなるのかは火を見るより明らかだった。
 歳三は、じっとその場に坐しながら、大鳥圭介と云う男の性を見極めようと、静かに目をこらしていた。



 やや暫くののち、大鳥は、幕府脱走軍の総督の座を受け、同時に中軍・後軍の指揮官の権をも受けることとなった。
 先鋒軍の指揮は予定通り秋月登之助が、その参謀には歳三がつくことになり、威容を整えた幕軍は、その日のうちに鴻之台を発することとなる。
 幕軍兵二千の目指す先は、徳川の聖地・日光――だがその前には、既に薩長軍に恭順の意を表している、宇都宮藩がたちはだかっていた。


† † † † †


鬼の北海行、続き。


大鳥さん、登場。
何か、調べてみたら、陸軍の脱走兵の(仙台までの)トップは、やっぱり大鳥さんだったのね――そうだよなぁ、たろさんがいたとかそんな覚えは(以下略)
松平太郎さんは、榎本さんと一緒だったということらしいのですが、でも、陸軍奉行並って、大鳥さんより偉いのに!
つーか、たろさんならともかく、大鳥さんだけじゃあ、勝さんも不安になるわけだよ! 頼りなさ過ぎです、大鳥さん……


そう云えば、勝さん、鬼のことを「一奇士なり」と云ってたらしいのですが――ちょっ、勝さんに“変わり者”とか云われるのは心外だ! いえ、勝さんのことは大好きですが、しかし勝さんだって十二分に変わり者……!
ってもう、誰の立場で何をどうしたいんだかわかんねーよ、オイ。
ああ、でもそれよりも変わり者なのは、多分総司。きっとそうだ。変わり者っつーか、常識を超えたところで生きてるよね。
って、何か反論あるのか、沖田番?


そうそう、何かNHKで、小栗さんのドラマが前後編でやってますが――え、随分昔の正月時代劇なのか。
小栗さんは、岸谷五郎ってカンジじゃないよね! もっとエリートっぽく、ちょっと神経質そうな感じだ。でもって、勝さんが西村雅彦って全然違うよ! 勝さんって、見た目ちょっと女性的(いや、女のような顔と云うのではなく)なんだけど、どっしりしてると云うか、うぅうん、あのカンジをどう云えばいいんだ……とりあえず、配役には不満だ。いいんだけども。


しかしながら思うのですが、うぅむ、何かもっと強い電波(←オイ)が欲しいなァ――資料とのすり合わせが必要ないほどの電波が……中公文庫の『新撰組の哲学』(そう云や処分しちゃったなー)くらいの電波! そしたら、いっそ堂々と“電波系”で通せるのだが……って、それもどうだ。
とりあえず、どっかの電波でもいいんで、宇都宮藩が本当に薩長に恭順の意を示していたのかどうか、教えてくれるひと、いないかしら……


この項、一応終了。