めぐり逢いて 12

 隊士が半減し、新撰組の存亡を危ぶむ声が隊内から出はじめたころ、副長は、また唐突に、新しい隊士を迎え入れたことを、鉄之助に告げてきた。
「桑名、唐津、松山の藩士どもが、藩主への随行を許されずに、どうしたものかと考えあぐねていたようなんでな、新撰組に入らないかと声をかけてきたのさ。榎本さんは、殿様方の力を削いじまいたいのか、藩士随行を三人までと定めたようだ。それで、あぶれた隊士のうちで、あくまで主とともに戦いたいと云う連中は、俺たちのところへくるがいいと云ってやったのさ」
 副長は、そう云って笑ったが――その笑みは、かつてのような、企みをするもののそれではなくなっていた。
 淡く透きとおるような――明け方の月のように、今にも消えてしまいそうな笑み。
新撰組に入るとなれば、旧主のもとではたらく、と云うわけにゃあいかねぇが――それでも、同じところで戦えるだけ、置いてかれるよりゃましなんじゃあねぇのかなぁ」
 遠いまなざしと、かすかな微笑み――どこか他人事のような言葉だった。
 鉄之助は、ちりちりと胸の奥が痛むのを覚えていた。
 副長の、こんな様子には憶えがある。今生ではない、ずっと昔――鉄之助がまだ鉄之助でなく、副長が副長でなかったころ、この人は、やはりこんな風に、遠いまなざしで微笑みかけてきたことがあった。沖田ではない沖田が、かれのもとを去った後、この人はやはりこんな風に、遠いまなざしでやさしく笑いかけてくれたのだった。
 ――俺では、やはり駄目なんですね……
 遠い記憶のなかでそうだったように、鉄之助は痛む胸を押さえるしかなかった。
 わかっていた――沖田を失うことが、この人にとってどういうことなのか、わかっていたのに止められなかった。
 この人は、早晩その生命を失うのだろう――苦い記憶に、胸が震える。
 かつてそうであったように、この人はその生命の輝きを失い、朽木が倒れるように死んでゆくのだろう。鉄之助は、また見ていることしかできないのだろう。
 そうだ、それは誰にも止めることはできないのだ。水を奪われた魚のように、土から離された草木のように、この人は朽ちて死んでゆく。それを見つめるしかないことの、何と云う恐ろしさ。
「――何て顔してやがるんだ」
 副長が、こちらを見て、くすりと笑った。
「俺が今にも死にそうだ、みてぇな顔しやがって――大丈夫だ、これくらいの逆境なんざ、今までだってあったんだ。蝦夷へ行きゃあ、どうにかなるさ、心配することなんざねぇんだよ」
 云いながら、くしゃくしゃと頭をかき回してくる大きな手。
 ――違うんです……
 鉄之助は、熱くなってくる目頭を覚えながら、ただ首を振った。
 ――違うんです、違うんです、副長……
 新撰組の存亡などを気にしているわけではないのだ。自分はただ、目の前にいるこの人の生命が、いまこの瞬間にもこぼたれていくのを恐れているだけなのだ。
 副長は、わかっているのだろうか? 自身のその変容を――それが、どれほどの不安をまわりの人間にあたえるのかと云うことを。
 安富や島田、相馬などは、副長の変化に気づいているようだった――だが、かれらは何も云おうとはしなかった。そうだ、かれらは知るまい、副長が沖田を失ったことが、どれほどの痛手となって、その内面を蝕んでいくのかなどは。
 知っているのは、鉄之助だけだ――かつてのおぼろげな記憶を持つかれだけが、その喪失の意味を正しく理解しているのだ。それが、どれほどの空虚を副長のうちにもたらすのかを。
 怯える鉄之助の内心には気づかぬかのように。
 副長は、新しく入隊してきた桑名・唐津・松山の各藩士を、ものやわらかな態度で迎えていた。喩えて云うなら、慈父か慈母のような――その顔に浮かぶ微笑みに、鉄之助は、うそ寒いものを感じずにはいられなかった。
 その笑みこそは、かつての鉄之助――ああ、もっと別の何ものかであったかれ――が怖れた、あの空虚を孕んだ笑みであったのだが、それを副長は、惜しげもなく皆に向けて見せるのだ。
 ああいや、惜しいはずなどない、本当の副長の、あの悪餓鬼の笑みは、沖田の死とともに失われたのだろうから。本当のものでない慈悲深い笑みなど、この人は、誰にでも、いくらでも向けてやれるのだろうから。
 副長は、やさしくなったと皆が云う――それは、松山藩士たちが、入隊に際して、「いずれ自分たちは、旧主のもとへ馳せ参じるつもりだ」と公言したときに、一層明らかになった。
 かつての副長であったなら、“ふざけたことを云うな”と烈火のごとくに怒っただろう。筆頭の依田織衛を呼びつけて、“そのようなことを云うからには、新撰組への入隊は罷りならぬ”と切って捨てたであろう。
 だが――実際には、副長は、すこしばかり立腹しただけで、それとても、依田たちが折れたことで、赦してしまったのだった。
 さらには副長は、会津以来同行していた古い馴染みである、幕府御典医・松本良順を、懇々と説いて、江戸に帰してしまったのだ。
「あんたァ、前途有用の人だ、こんな先行きのねェ戦いなんぞに付き合わねェで、江戸に戻った方が、世のため人のためになるってぇもんさ」
 自分も蝦夷まで行くと云い張る松本医師に、副長は、静かに笑って、そう云ったのだ。
「だが――では、おめぇさんはどうするんだ、土方」
「俺ァ、もちろん行きますよ。俺なんざ、戦以外に能のねェ男だ、戦って、ぱっと散る以外に、生きる道なんざありゃしねぇんですよ」
 片頬を歪めて笑う副長に、医師は、ただうなだれているようだった。
「……沖田を、生かすことができてりゃあなぁ――そうしたなら、おめぇさんも、もっと違う生き方を選ぶんだろうに……」
 やがて、医師の口からこぼれたのは、そのような言葉だった。
 ああ、この人も自分と同じことを考えているのだと、鉄之助は心強く思い――そしてまた、大恩あるこの医師のことすら遠ざけようと云う副長の心に、暗澹たる思いが胸を満たしていくのを覚えて、深く嘆息した。
「止してくださいよ、良順先生」
 おどけたように、副長は云った。
「総司のこたァ――天命ってやつでしょうさァ。俺ァ、単に能無しなんでね、他に行くところなんぞないんですよ。それに……この俺が、“新撰組”を投げ打つわけにゃいかねェでしょう」
 ――最後の一人になるまで、俺が戦って、新撰組を守るさ。
 副長が、近藤局長に最期に投げかけた、あの言葉を憶えている。
 では、もはや、この人を支えているのは、“新撰組”と云う組織があるからこそなのか――それを投げ打つときがきたなら、この人は本当に、生き続けることを止めてしまうのか。
 副長は、わざとらしいくらいにこやかに、医師に笑いかけていた。それはもしかしたら、沖田だけでなく、この医師まで失うことを恐れたが故の、演技であったのかも知れなかった。
「ですから、ねェ良順先生、あんたァ江戸に戻って下さいよ。江戸にゃ、あんたの手を待ち望んでる連中がたくさんいるはずだ。俺にここまで肩入れしてくれたあんたのことだ、元の幕臣のことだって、きちんと診て下さるんでしょう。それが、もう頼るあてもなくなった連中にとっちゃ、何よりの救いになりますでしょうからなァ」
「……わかった」
 やがて、医師は頷いた。副長の心のうちを慮っての
「おめぇさんが望むなら、儂は江戸へ戻ろう。戻って、おめぇさんたちが帰り着くのを待っているさ。蝦夷に飽きたら、戻ってくるがいい」
「――ええ、そうさせて戴きますよ」
 副長は頷いたが――その淡い笑みは、約束の言葉のはかなさをあらわしているかのようだった。



「――便りがねェうちは生きてるんだと、そう思ってやってきたんだがなァ……」
 副長がそんな言葉をふとこぼしたのは、松本医師が江戸への船に乗って、仙台を発ってから暫くのちの、とある夜のことだった。
 筋張った指が、沖田の姉からだという手紙を、くしゃりと握りしめる。
「俺の、都合のいい考えだったんだなァ――あいつァ、もういねぇんだ、いねぇんだなァ」
 鉄之助は応えなかった。
 副長の言葉が、かれのいらえを求めてのものでないと――それどころか、かれのいることさえ気づかれてはいないのだと、よくわかっていたからだ。
「おめェも、俺をおいてっちまったのか……総司」
 副長の背が、淋しく丸くなる。
 だが、それを蹴りつけるはずの人は、もうこの世にはないのだ。
 ――何へこんでやがるんでさァ!
 明るく笑ってそう云って、副長が睨み返して怒鳴りつけるはずの人は、もういない。今生では、二度と再び会うことはできないのだ。
 改めてそう考えると、眦から熱いものがこぼれ落ちた。
 ――沖田さん、沖田さん、沖田さん……
 鉄之助も、悲しかった。
 ただ副長のためでなく、沖田のことを慕っていた。その心のうちには、遠い昔、自分の犯した罪ゆえばかりではなく、本当に、かの人を兄のようにも思っていた。
 今だけだ、落涙するのをおさえもせずに、鉄之助は思う。今だけだ、今だけ――今ここで泣いたなら、このあとは涙を流すことはすまい。自分は、沖田との約束を果たさねばならぬのだ。この生命に代えても、副長を守る。それが、鉄之助に課せられた使命なのだから。
 そんなことを心のうちで繰り返しながら、鉄之助は、小さくなった副長の背を見つめつつ、滂沱の涙を流していた。


† † † † †


鉄ちゃんの話、続き。


どうも、このあたりから、先行きが微妙になっていったりとか。
怪しい情報によると、鬼、この辺から、もの静かに喋ったりとか、遠い目をしたりとかしてたらしいですよ――そうですか。そういうドリーマーなことを云うアナタは、仙台以降の入隊者なのかね?(笑)
まぁ、軍事的なあれこれはちっともわかんない(そういうのは、時の最果てに落としてきたらしい)ので、わかる範囲の話だけ書くと云うことで。


しかし、鬼を“透きとおる”だの“淡い”だのと形容すると、何ともむず痒い気分になりますね――でもまぁ、鉄ちゃん視点だと、割り切って書けるので良いなァ! 役者のような色男でも、女のような美貌でも、どんとこい! ってカンジです(笑)。が、イメージする顔はアレなので、何と形容しようと同じっちゃあ同じなんですけどもね。
これが鬼視点だと――まぁ、自分ではそんなことは……ううぅ、色男自慢だっけ、この男は。
まぁ、私、こないだヴェネツィアで“色男”(=“damerino”)と云われてたそうなので、とりあえずそれを自慢(?)してみた時の気分でいこうか……つーか、生物学的には女だっつーの!
ちなみに“damerino”の意味は「伊達男、ダンディー、色男、女たらし」だそうで――たらしですか、そうですか……自覚してたら満喫したのになぁ。惜しい。つーか、男にモテないと意味ないだろうよ、俺……


ここのところ、新撰組の小説サイトで日参してるところがありまして、そちらの鬼が、何と云うか非常にきれい(ひらがな表記のfeeling)なので、読んでてうっとりなのです、が――てめェで書くときゃ、麗しくも美しくも儚くもないからなァ。夢を見る対象じゃないってェのも、こういうときはもの悲しいですね……
まぁ仕様がない、所詮、鬼は鬼だもんなァ。


ところで、こないだ前橋まで出張したので、古馴染みに土産を託けたら、「あいつァ上役と揉めたりしてねェか」と、またも心配(……て云うかさァ)の言葉を頂戴しましたよ――どうよ、その心配のされ方って! もう10年以上(……あああああ←別な意味で)勤めてるし、いきなり解雇されやしませんよ! ええ! ……本当に信用がないようだ……(泣)


この項、終了。