めぐり逢いて 10

 九月一日、副長は仙台に到着した。
 到着早々、幕府海軍の榎本釜次郎のもとに赴いた副長は、何やら今後の動静について会合を持ったようだった。
 三日には、副長たちは、仙台・青葉城に登城し、瓦解寸前の欧州列藩同盟を立て直すための会議に出席した。
 その間に、鉄之助は、江戸から別働で仙台に到着していた相馬主計、野村利三郎らと、久方ぶりの再会を果たしていた。
「久しぶりだ、市村君。副長はお元気だったか」
 相馬に、静かな微笑とともにそう云われ、鉄之助は、どう応えていいやら迷っていた。
 副長の足の怪我は、もうすっかり良くなっていた。ただ、元気かと云われると、即座に肯首しかねるのだ。
 副長は、負傷してからこのかた、考えこんでいることが多くなっていたし、かつては快活な笑顔を見せることもあったのが、今はどこか憂いを含んで沈黙していることもあった。
 それは、昔――まだ京にあったころ――に較べると、明確な変化で。
 鉄之助は、それを思うと、とても“お元気でした”とは答えることができなかった。
「市村君?」
 相馬が、怪訝な顔で問うてくる。
 かれならば、と鉄之助は思った。かれならば、鉄之助の危惧をわかってくれるのではないだろうか。鉄之助が、今の副長に感じるかすかな違和感――と云っていいものならば――を、ともに感じて、この不安を分かち合ってくれるのではないだろうか。
「相馬さん、俺……」
「どうした?」
 鉄之助は、ずっと抱え込んでいた胸のうちを、相馬に吐露しようと、口を開いた。
 と、
「おう、市村君!」
 明るい声がして、鉄之助の背中を強く叩くものがあった。
 鉄之助は、その強い力によろめいて、覚えずたたらを踏んでいた。
「市村君! ……野村君!」
 相馬が、すこし批難するように、その腕の人物を睨みつけた。
「おっと、すまんすまん。……そう睨まないでくれよ、相馬さん」
 笑いながら云ったのは、野村利三郎だ。
「市村君、副長のおっしゃることは、きちんと聞いていたのか?」
 子供をあやすようなそのもの云いに、鉄之助はすこしかちんときて、つんと鼻先を反らして応えた。
「ええ、勿論ですとも。ですから、俺は本隊ではなく、副長にご一緒して、一足先にここに来ているんですからね」
新撰組本隊は、まだ会津なのか」
 相馬が、その言葉を聞いて、問い質してきた。
「ええ、あちらは、総督の大鳥先生が率いておられます。新撰組は、安富さんが取りまとめを――斎藤先生は、会津に残られるとのことで……」
「ああ、その話は、ここへ来る途上で耳にしたよ。――斎藤先生は、残念だった……一緒に来て戴ければ、我々も心強かったのだが……」
「臆したものなんざ、いたって仕方ないだろう」
 口を挿んできた野村に、鉄之助のみならず、相馬も眉を顰めて、批難するような口調になった。
「野村君!」
「だが、そうだろう、相馬さん? 俺たちは、あくまで戦い続けるんだ、そうでない輩なんぞは、必要ねぇ。枷になるだけだ」
「――斎藤先生を侮辱するな。先生には先生のお考えがある。それに、脱退されたと云うことは、副長がお許しになったのだぞ」
 相馬の厳しい声に、野村は黙りこんだ。
 それを見て、鉄之助はすこし溜飲が下がった。
 正直に云って、相馬はともかく、野村のことはあまり好いてはいなかった。それは、野村が子供あつかいしてくるせいもあっただろうし、また、かれの副長に対する強すぎる自己主張を、鬱陶しく思っていたためでもあっただろう。
 だから、この時も鉄之助は、野村に肩をそびやかして見せ、相馬に話を聞いてもらおうと、その袖を引いた。
 だが、その時、
「――何だ、相馬、野村も……着いてたのか」
 副長の声が、背後からかかり、三人はぱっとそちらを振り向いた。
「副長!」
「遅くなりましたが、ただ今到着致しました!」
 ふたりは喜色満面で、副長に向かって頭を下げた。
「あァ、よくぞ無事だったなァ! 道中はどうだった、陸軍隊の様子は?」
 嬉しそうにそう云いながら、しかし、副長は、どこか疲れた表情をしていた。
 確か今日は、欧州列藩同盟の諸藩の会議に、榎本らとともに出席していたのではなかったか。
「副長、会議は如何なさったのです?」
 差料を受け取りながら鉄之助が訊ねると、副長は、疲労の滲む片頬を歪めるようにして、
「俺の出る幕じゃあなくなったようでな。居ても仕方ないので、帰ってきたのさ。――どうも、同盟はがたがたのようだ」
「どうなさったのです」
 相馬が、眉を寄せて問いかけると、副長の肩がひょいとすくめられた。
「どうもこうも、諸藩の方々は、俺に生命を預けることはできんとさ。殿様に伺いを立てなけりゃあ、ともに戦うことすらできねェらしい。どうにも、腰砕けな話さ」
 そう云って副長は、会議の様子をぽつぽつと話した。
 同盟軍の総督に、副長が推されたこと、それを受けるにあたっての条件――生殺与奪の権を与えよと云う――を出したところ、二本松藩士の安部井と云う男が、藩主の許しなくば一命を預けることはできぬと云いだしたこと、それによって諸藩のものどもも言が揺らぎだし、遂には皆、藩主に伺いを立てたいと云いだしたこと――
「……同盟がどうのと云っちゃあいたが、あれァ、早晩崩れるだろうさ。本気で戦うつもりなんざねェんだろう。榎本さんは、まだまだ戦うつもりらしいが――まァ、奥州で戦をするのは、もう無理な情勢だろうなァ」
「……奥州は、駄目ですか」
「あァ、駄目だな。……まァ俺ァ、榎本さんが戦うと云うなら、そのようにするだけさ」
「何て連中だ!」
 野村が声を上げた。
「腑甲斐ないにも程がある! 副長、その会議に乗りこんで、ひと暴れしてやりましょう! そんな奴ら、叩きのめしてやりゃあ、目も醒めるってもんですよ!」
「野村君!」
 相馬が叱責する。
「野村」
 副長の声は、いっそ穏やかなほどだった。
「やったところで、時の趨勢だ、動かねェもんは動かねェよ。――ともあれ、大鳥さんたちがここに着かない限りは、動くに動けねェ。おめェらも疲れているだろう、今はやすんでいるがいいさ」
 野村は、不満げな表情ながらも黙りこんだ。
 鉄之助も、不安な心でいっぱいだった。
 江戸からはるばる逃れてきて、ここを戦場と定めたはずの土地は、やはり自分たちを容れてはくれぬのか。だが、奥州に戦地を求められぬとすれば、この後は一体、どこへ往けば良いのだと?
 不安を抱えながら副長を見つめたが、もちろん、返ってくる言葉などありはしなかった。


† † † † †


鉄ちゃんの話、続き。


相馬、野村登場。やっとこ野村のイメージが落ち着きました。
鉄ちゃんとはあんまりあわない、つーか、鬼も、小隊すら任せるのを躊躇しそうなタイプだ。安富さんの下につけたのは、まぁ慈悲の心と云えなくもない――隊ひとつ任せるには、独断専行が多そうだもんな。ブレーンストーミングの役には立ったかも。実際の作戦ラインは、相馬‐島田ラインで。


この項、終了。
例の知らせは、届かなかったね……次か、そうか……