壬生義士伝のこと。

いや、映画見たりとかしたわけじゃあないんですけども……
ちょこっと聞いた話とか、他所の感想を見て思ったこととか。


つぅか、うん、まぁお話なんだよなぁと云う他ないのですが。
もともとあんまり興味はなく(だって、大概この手の平隊士の話って、基本的に鬼とか酷い役なんだもん)、今日(ホントは2/1ですよ)なんかも見る気はしなかったのですが。
何と云うかさ――妻子を養うために新撰組に入って、現金収入を、って、まぁ今なら美談かも知れないけどさぁ、それで食い詰めたら次の仕官先へ、ってのは、あのご時世では単なる守銭奴なのは本当だと思う。
だって、旗幟を鮮明にするのが“義”であった時代にさ、いくら妻子を養わなきゃいかんつったって、平気で昨日までの旗印をしまい込んで、次の旗印の下に参じられるってのは、やっぱり蝙蝠呼ばわりされたって文句は云えないんですよね。食えないからって、昨日まで共産党の議員だった人が、今日から自民党に入るようなもんでさ。そんな人間、誰が信じるんだって云う――今だって、そんな議員いたら信じられないでしょう?
武士は、ある種サラリーマンみたいなものかも知れないけど、サラリーマンではないのですよ。主君の“恩”に報いる“忠”がある。主君と武士との間にあるのが“義”なんだ――今から見ると馬鹿馬鹿しいかもしれないけどもね。


だからまぁ、史実はどうだったかしらない(沖田番曰く、やっぱり鞍替えは許されないって云うんで、寝返った先で切腹になったらしい――差料がぼろぼろで、介錯もなくて、腹切っても、首切っても死に切れずに、一晩もがき苦しんで死んだとか)んですが、もし本当にそういう人物だったとしたら、間違いなく武士としては軽蔑されてたろうね。
新撰組は、幹部連に非-武士階級出身者が多かったから、余計にそういう体面とかには煩かったと思う(例の「士道不覚悟」ですよ)ので、実際こういう男がいて、もしも失態があったりしたら、間違いなく切腹させてるね。うん。


武士道って云うのは、やっぱり建前の美学だったんだとは思う――実態は、その建前にそぐわないことなんか山ほどあったと思うけど、新撰組だって例外ではない(例の永倉さんの建白書の時、けりをつけるのに、平に近い隊士に詰め腹切らせたりとかしてるし)とは思いますが、ただ、妻子を養うためだけに仕官先を転々とするのは、やっぱり褒められたことではなかったと思いますよ。
多分、本当に鬼の前で失態があったら、真剣に詰め腹切らせてた――まぁ、介錯はつけたろうけどね。


しかしまぁ、吉村さんのような人なんか、結構いたよーと云う話を聞くと、鬼なんか、食いっぱぐれなかった分だけ、他の人たちよりラッキーだったんだなぁ、と思います。
永倉さんとか一ちゃんとかは、本当に上手くやったんだなぁ。何たって、ご一新を生き延びたんだからねぇ。すごいすごい。


と、他所の“感動した”“泣いた”という感想を見ながら、映画を見もせず、小説を読みもしないままに、こんなことを書いてみる――いいんだよ、単にひね者なんだから!


あああ、鉄ちゃんの話を書く気力が……