艶女

 久々の非番の日、沖田総司は、平服で屯所を出る。
 隣りには、やはり平服の副長・土方歳三
「お出かけですか」
 すれ違う隊士の声に、
「ええ、ちょっと、蕎麦でも食いに」
 などと頭を下げる。
 総司はにこやかだが、横を歩く土方は仏頂面だ。隊士が怯えるから、すこしはにこやかにすればいいのに、などと思うが、本人に云わせれば、
 ――それじゃあ、“鬼の副長”にゃ似合わねぇだろ。
 と、にべもない。
 昔は、薬屋などやって、あちこちで笑顔を振りまき、女をたらしてきたくせに。
 いや、女たらしは、今もそうか。
 歩きながら、総司はくすりと笑う。
 島原の東雲太夫やら、北野の君菊、大坂新町の若鶴太夫と、花街の女と浮名の絶えない土方は、その実、屯所界隈の茶屋や菓子屋でも、中々の人気なのだ。
 どうやら、薬屋時代のやわらかな物腰を、市井の女たちには向けるから、らしいのだが、ひとつ笑顔を向けられただけで、女が落ちるとは、
 ――結構なことですよねぇ、本当に。
 普段強面なぶん、ふとこぼされる笑みに、女たちはぐらりとくるのだろう、と云うのが総司の見るところだ。
 まぁ、実際、顔のつくりも役者に見まごう色男、それに微笑みかけられれば、なびかぬ女も少なかろう。
 ――結構なことですよねぇ、本当に。
 総司は再び呟いて、内心でそっと溜息をつく。
 本当に、土方の女運のよさを分けてもらいたいくらいだ。
 総司は、正直に云って、女が苦手だ。
 はじめて好きだと云われた女は、夫婦になってくれないなら死ぬと云って、目の前で喉を突くわ、京へ来て、なじみになった妓には、寝ている間に勤皇志士を手引きされるわ、まったく、碌な思い出がない。
 それに引きかえ、嫌いだと公言してはばからない花街の女にまで惚れられる土方と云う男は、自分と何が違うのかと思わずにはいられないのだ。
 ――まぁ、もう、女の人はいいんだけどね。
 と云うのは、決して負け惜しみと云うわけではないのだった――土方のことが憎らしく思えないわけでもないのだけれど。
 その土方は、何となく落ち着かない様子で歩いている。
「――総司、本当に蕎麦でも食ってくか」
 外出の理由はそれではなかったはずなのに、口実を本当にしてしまおうと云うのは、行く先で待ち受けているひとのことを考えているからか。
「俺はいいですけど」
 総司は、かるく肩をすくめて見せた。
「姐さんが怒りやしませんかね」
「……うぅ……」
 すこし前屈みになった背を、ますます丸くして、土方は呻いた。
「こないだ、手紙の代筆頼まれたときに、今日は行くって返事しちまいましたからね。あんまり遅いと――」
「――わかってらぁ」
 と云う声は、まったく“鬼の副長”らしからぬ。どう聞いても、へたれ男のそれでしかない。
 まぁ、土方がこんなにも躊躇するわけはわかっている。
 かれがこの間、祇園の舞妓の誰やらとねんごろになったと、隊の内外で噂になったからだ。
 もちろん、素人で、誰かの妻女ではない、ある程度の齢の女、と云うのが、土方の選ぶ女の基準――本当は、もっと細かくて我儘なのだけれど――だったので、その噂が本当でないことは総司にはわかっていたが、
 ――まぁ、姐さんがどう聞いたかはわからないもんなぁ。
 とは云え、それはもちろん、本当はどうであるかなど、わかっているのだろうけれど。
 土方の行くべきところ――つまりは女のところだ――は、三条あたりの西京極に近いところにある経師屋だ。かなりの大店らしいが、総司は、掛軸屋くらいにしか思っていない。まぁ、要するにそんな店だ。
 相手の女は、元はどこぞの太夫だったらしい、おようと云う名の経師屋の後家。細い身体と、一見おっとりとした美貌の、いかにもな京女だ。
 ふたりの馴れ初めを、総司は知らない。が、想像は容易につく。
 非番の日に外をうろついていて、はぐれ志士に襲われたときに、飛び込んだのがおようの店であったのに違いない。
 正直に云うならば、おようはよく土方なぞとつき合っていると思う。
 土方は確かにもてる、が、そのつき合いが長続きしたことはない。理由は簡単だ、女たちが思っているほどには、土方と云う男は、男らしく頼り甲斐がある人間ではないからだ。
 一言で云えば、へたれ。
 それでよく、「こんなひとだなんて思わなかった」などと云われて捨てられているのを、総司はよく目にしていた。
 そう考えると、おようと云う女は、ひどく忍耐力があるか、あるいは土方のことをよくわかっているのか、どちらなのだろうと思う。
 ――まぁ、どっちもなんだろうな。
 そうでなくては、こんなに長くつき合ってなどいるまいから。
 三条あたりにたどり着き、おようの家の前に立つと、土方はぴたりと立ち止まり、総司を前に押し出すようにした。
「ちょっと、なにやってるんですか、土方さん」
 それは、おようと顔を合わせづらいのはわかるが、しかし、かの女の“男”は土方であって、決して総司ではあり得ないと云うのに。
「いや、まぁ、何て云うか――」
 と云いながら、それでも前には出ようとしない。仕事が忙しかったとは云え、ここまでおとないを先延ばしにしたのは、自分の責任なのだろうに。
 溜息をついて、総司は木戸を叩いた。
「すみませーん、姐さんおいでですかい」
「あらあら、まぁ、おいでやす」
 からりと戸が開いて、中からおようが顔を覗かせた。
 美しい顔は、いつものようにやわらかな笑みを湛えている。が、その笑顔が、いつもにもまして力のこもったものであるのは――
 ――きっと、例の噂のせいなんだろうなぁ。
 案の定、後ろで土方がびくりとするのがわかった。
 ――……へたれ。
 これで本当に、“鬼の副長”なのかと、隊士たちが見たら目を疑うだろう。
 おようは、土方に目を向け、さらににっこりと笑みかけた。
「あらあら、お早いお戻りどすな」
「……あ、あぁ」
 と云いながら、沖田の前に出ようとしない。
 ――どうですよ、そのへたれっぷりって。
 総司は、別段、土方を切れ者だとか鬼だとか思ったことはない。土方がこんな男だと云うのは、試衛館時代の昔から、それはもうよく知っていたので、“鬼の副長”ぶりに関しては、“へたれが、頑張っちゃって”程度の気分でいつもかれを見てはいる。
 が、
 ――流石にこれは、どうですよ。
 何だかもう、おようではなく土方の方が、このまま三つ指ついて頭を下げそうな、この雰囲気と云うものは。
 おようは、再びまなざしを総司に戻し、微笑みながら云ってきた。
「沖田はん、お茶でもあがっていかはりますか」
「いやぁ、俺は失礼しますよ」
 と応えたのは、武士の情けと云うべきものだった。
 と云うよりも、もう、あまりにも情けなくて、土方の姿を見ていられなかった、と云うほうが正しいか。まったく、これが副長なのだと思うと、情けないやら何やらで、涙まで出てきそうだ。
 いつもの総司なら、まず間違いなくまわりに吹聴してまわったろうが、この情けなさでは、それすらも憐れでしかねるほどだ。
「俺は、野暮なこたぁしたかないんで。……てわけで、土方さん、俺ぁおとなしく、蕎麦でも食って帰りまさぁ」
 と振り返って云うと、
「あ、あぁ……」
 頷いて、土方は総司の掌に、いくばくかの小銭を握らせてきた。
「これで食って帰ぇれ」
「どうも。――じゃあ、明日の朝方にでも、この辺に見回りを寄越しまさぁ」
「あぁ、頼んだ」
「いぃえ。――それじゃあ、姐さん、また今度」
「また来ておくれやす」
 にこやかに微笑んだおように頭を下げ、総司はもと来た道を歩き出した。
 後ろでは、おようが土方を家の中に招き入れている様子だ。
 ――あれで、意外と長いつき合いだから、不思議なんだよなぁ。
 あれだけびくびくしていながら、それでもここを訪れる土方の気持ちも不思議だったが、おようの方も、いつも流れる土方の浮名に、怒りを覚えないわけではないようなのに、結局はいつも赦している。
 ――男女の仲ってぇのは、わからないもんだよなぁ。
 まぁ、別にわからなくったって、一向構いやしないのだし。
 総司はぶらぶらと三条界隈を歩き、土方がよく使っている蕎麦屋の戸をくぐった。
「どうも――と」
 狭い店の中を見回して、総司は一瞬かたまった。
「……あ」
 相手も、こちらに気がついたようだ。
「おぅ、壬生のガキじゃねぇか」
 と、顔を赤くして、すっかり出来上がっているのは、痘痕面の長州藩士――高杉晋作
「どうしたんですか、高杉さん」
 こんな昼間っから、と云いかけた総司の袖を、店の主がくいと引いた。
「お侍はん、こちらさんとお知り合いで?」
「はぁ、まぁ……」
 とりあえず、総司は頷いた。
 自分たちの間柄を、単なる“知り合い”で片付けていいのかは、はなはだ疑問の残るところだったが。
 と云うか、こういう場合にこんな訊き方をされると云うのは、例えば、飲み代を肩代わりしろと云う……?
 と思ったが、主が声をひそめて云ったのは、
「こちらさん、どうも女にふられはったらしいんですわ。いえ、ふられた云うか、そのおひとにお相手があったらしゅうて……」
「ははぁ」
 どうやら高杉は、狙いを定めた相手の女に、ふられる以前に相手にもされなかったらしい。
 ――へたれのくせに、女にこと欠かないひともいるかと思えば……
 ふられたり何だりと、女運の悪い男も、そこここにいる。
 ――まさかと思うけど、土方さんが俺たちの女運、全部吸い取ってんじゃないだろうな。
 まさか、そんなわけもないだろう、と首を振る総司に、高杉は、赤い顔で絡んできた。
「おい、ガキ、おめぇんとこのあれに、ちゃんと云っとけぇ」
「俺んとこの、あれ?」
 酒の強いにおいにすこし顔を顰めながら、総司は問い返した。
 高杉は、たいそうな出来上がりようで、見れば卓の上には、何本もの銚子が立ち並んでいる。これ全部をひとりで空けたとしたら――昼間っから、大した酔っ払いようでもあるはずだ。
 高杉の大虎ぶりのせいでか、店の中は人もまばらだ。いるものですら、壁にはりつくようにしながら、こそこそと蕎麦をすすっている。
 高杉は、そんなあたりの様子など、一向意に介していないようだった。
「おめぇんとこの碌でなしだよ」
 と、指を振りたてて云う。
「だから、誰ですよ」
「強面の、女殺し気取ってる、阿呆の――あれだあれ」
「――えーと……」
「だーかーら、ひーじー……むがっ」
「だから、そういうことは、大声で云うもんじゃあねぇでしょうって」
 慌てて相手の口許をおさえると、高杉は目を白黒させて黙った。
 それを確かめると、総司はかれの向かいに腰を下ろし、店の主に銚子を一本と、天麩羅を持ってくるよう頼んだ。
「で、うちの鬼に、何を云っとくんですって?」
 すぐに運ばれてきた酒を、手酌で注いで、総司はそう問い返した。
「だーから、あれだぁ、女たらしてばっかいねぇで、仕事しろってな」
「……高杉さん、俺らの仕事、何だかわかってますよ、ねぇ?」
 総司や土方の“仕事”と云うのは、当の高杉たち勤皇志士を取り締まることなのだが。
「だがおめぇ、そればっかが仕事ってわけじゃああるめぇよ」
「まぁ、そりゃあ……」
 野犬の始末だの、かどわかしの捜索だの、もともとの仕事とはかけ離れた依頼をされることも、新撰組は確かに多いのではある、が。
「俺ら追っかけるばっかじゃねぇ、そういう仕事をきりきりやりやがれってぇんだ」
「はぁ……」
 適当に相槌を打ちながら、総司は、高杉は土方に、どんな恨みがあるのだろうと首をひねった。
 そこで、ふと思い出す、
 ――……あ。
 店の主が云っていたではないか、高杉は、女に袖にされたらしいと。
 と云うことは、
 ――へたれに女ぁ奪られたのが、またひとりってぇわけか。
 高杉は、おように懸想していたのか――そうして、思いを告げる暇もなく、土方が情夫であることを知ったのか。
 総司は、高杉が気の毒になった。あんなへたれに想い人を奪われるだなんて、あまりにも女運が悪すぎる。
「――高杉さん、女ぁひとりじゃないですよ」
 思わず云って、ぽんと肩を叩くと、
「そぉとも、女ぁ世の中にゃ、山といるんでィ――なんでィ、あんな女ひとり……」
「そうですとも、あんな女の一人や二人、うちの鬼にくれてやりゃいいじゃないですかい」
「だけどな、ガキよぉ、あんないい女、滅多にいやしねぇんだぞ……」
 ぐだぐだと云う高杉をなだめながら。
 ――まったく、罪作りなおひとだね。
 おようの美しい顔を思い浮かべる。そうして、土方のすました顔を。
 勤皇の志士まで誑す艶女――隣りにあるは、艶男とはいかないが。
 ――あの人のへたれっぷりは、高杉さんには黙っておこう。
 そうでなくては、あまりに高杉が気の毒に過ぎる。
 総司は、そうやって暫くの間、高杉の愚痴につき合ってやった。



 翌日、屯所に帰ってきた土方に、
「言づてですよ、“女たらしてばっかいねぇで、仕事しろ、仕事”って」
 総司は高杉の言葉を伝えてやった。
「何だそれァ。誰からの言づてだ?」
 問われて一瞬首をひねり、
「……どこぞの酔っ払いでさぁ」
 よもや、“長州の高杉から”などとは云えないでいると、
「酔っ払いだぁ? 知るか、そんなもん。――それよりも総司、おめぇ、こないだの撃剣の稽古、また斉藤におしつけてとんずらかましやがったってぇ、さっき源さんが……」
 よからぬ方向に話が流れてきた。
「あ、俺、これから見回り行ってきますんで」
 総司は、さっと手を上げ、話をそらし、慌てて廊下を駆け出した。
「あッ、総司、てめェ!」
 追いかけてくる声を背中で聞いて、総司は勢いよく、京の市中へ躍り出た。


† † † † †


艶女、と書いて、“アデージョ”とは読みません(笑)。“あでおんな”で。


このネタ、池波正太郎のエッセイにあった、“土方歳三の彼女は、京都の経師屋の後家さん”と云う話から書いてます。
艶女には艶男、と云うわけにはいかない副長の話。
姐さんたちの京言葉はいい加減ですよ……高杉さん、べらんめいだしな……
でもって、この続きと云うか何と云うかが、「小噺・勤皇志士連中」になるわけですよ……


つーか、これ書いてたら、沖田番から「鬼、捨てられたんじゃなくて、逃げるんだよ。酷いやつですぜ〜?」と云う訂正要求が……
いいじゃん、すこしはカッコつけさせろよ! 字がくねくねして女っぽいとか、俳句が下手とか、もうかなりアレなんだからさぁ!
つぅかぶっちゃけ、夢見てるお嬢さん方の夢を壊さないように身を引く、ってのは、そんなにイケナイ行為なんだろうか……イメージ壊してあげた方がいいってことかよ?
どう思われますか?
て云うか、「女に逃げられる」がカッコつけって……! (血反吐)


とりあえず、鬼の好みのタイプは「美人で可愛く、やさしくて芯の強い、か弱くて、しかしか弱いだけでは駄目で、強いが適度に頼ってくれる、物腰のやわらかい、甘え上手で甘えさせ上手で、時には尻を叩いてくれる女」なのだそうです。……注文多いなー。
しかし、問題なのは、このタイプの女が身近にいることの方か……


この項、終了。ラストが微妙だ……