日野本陣行。

立て続けですが、行ってきました、日野本陣。今回は一人旅(?)。


えーと、モノレールの甲州街道駅で下車後、てくてく歩いて日野本陣へ。
行き着いたら、ガイドさんが食事休憩中とのことで、ちょこっと内部を見学。私のほかにはひとり見学者がいただけ――まァ、平日だもんなァ。
ガイドさん帰還後、説明を受けながら邸内を一巡り。
つーか、噂の鬼の昼寝場所、やっぱ玄関の間じゃん! Just玄関じゃん! それは総司に(わざと)踏まれても文句は云えねェよ、玄関だもん。たとえ、いつもは使わない玄関でもな! (ああいうところは、家人は土間から入るはず――式台から入るのは、大名とか御目見え以上の旗本、だったと思う)
でも、今日も適度に風が吹き抜けて、外は明るかったけど適度に暗く、確かに昼寝には丁度良いなァと思いました――誰もいなかったら、マジ寝してたかも(汗)。


鉄ちゃんの匿われていたと云う部屋は、そのふたつ奥の控えの間でした。六畳間で、床と違い棚(って云うのかな)があるとこです。この部屋、釘隠しが蝙蝠なんだよね。ガイドさん曰く、蝙蝠は秘密を守ってくれるとか何とかで、ここに何か隠すと見つからない、と信じられたから、この部屋に匿われたんだそうです。
でも、結構光の入る明るい部屋で、ここなら、陰々鬱々としなくて済んだのかも知れないなと、ちょっと胸を撫で下ろしてみたり。


しかし思ったんですが、やっぱ関東の畳って小さいね! うちの父方の実家の古い家(一部を除いて、もう立て直しちゃった)は京間だった(はず)のですが、八畳間とか、全然広さが違うもん。あと、欄間とか釘隠しとかも結構立派だったんだなァと、今さらながらに実感。本陣並みの造りだったのね――明治のアタマの建築だったので、時期は日野本陣とさほど隔たってないはずですが。
座敷とかも十六畳くらいあったし、控えの間(一間×8、か?)もあったし、仏間も六畳(北陸ですから)あったもんなァ。それで二階建てだから、かなり大きかったよなァ。蔵も門も立派なのがあるしなァ。
と、そういう発見もありました。
そう云や、義母(=今おかん)方の家(現存してます)も、小振りだけどまァまァの造りだったなァ。


でもって、軽く館内写真を撮り(ああいう室内の写真って、すごい難しいですね)、ついでにと思ってた新選組のふるさと資料館へ。場所がわからず、まずはJR日野駅まで行ってみる――ちょっと歩くな、と思いつつ、引き返して歩き始める、が。
何じゃ、この坂! しかも結構遠い!
ぜェはァしつつたどり着いてみると――九月二十二日まで休館ですって! おいィィ! 勘弁してくれェ!
仕方ない、次は十月だな、とか思いながら、ぐるっとまわって川崎街道へ出、佐藤彦五郎資料館の傍で、脇道へ。だって、甲州街道歩くの厭きたんだもん。モノレールの下の道も単調なんだもん。
水路を横目に見ながらてくてく歩く。と、カーブして中央道に突き当たる――モノレールはどこだ。
とりあえず、わからないなりに東へ歩いて、すこし大きな道に出たところで南へ折れる。万願寺のそばにバイパスが通ってたから、下っていきゃあそれにぶつかるよね、という、何ともアバウトな方針で。
案の定、バイパスにぶつかったので、そこからまた東へ折れて、ようやくモノレールの下へ。ここからは、次の目的地である石田寺はすぐ。


てくてく歩いてたどり着く――流石に足が疲れた……内股がちょっと痺れたみたいなカンジ。
なので、境内に人もいないし、御神木のカヤの木の写真を(仰角で!)撮って、ちょっとベンチで一休み。風が涼しくて気持ち良い。電話がかかってきたので沖田番とちょっと喋ったり。


すこし休んだら、気合いを入れなおして、今度は高幡不動へ。まだ歩き。
こないだのあどまち紹介の遊歩道を逆に歩いて、京王線のコンコースを通って、参道へ。
ちょっと気になることがあったので、前回より真面目にお参りして(石田寺の六菩薩? にも、かなり真剣にお参りしたりね)、気力がつきたので、紫陽花は見ずに饅頭屋へ――まずガチャ。
源さんキター! が、山南さんと総司と一ちゃんは来ないですのぅ……ぱっつぁんと原田と平ちゃんが来たので(そしてまた鬼が2種)、あと↑の3人だけなんだけど、欲しいのは。
でもって、饅頭のバラ売りをふたつ(歩き食い用)と古代瓦(沖田番用)、それからビール(退院してくるI嬢用)をGet。隣りの開運堂でかるめ焼きを(ふふふ♥)。
そのまま本日は帰宅。――今日は一体何Km歩いたんだろう……


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ってわけで、鉄ちゃんの話用の取材(?)もしたし。きりきり続きを書きましょう。
っても、鉄ちゃんの話でこれを活用するのって、3〜4章先の話だけどね……


さァ、鬼の北海行書かなくちゃあ!